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更新日:2017.05.28食トレンド 連載

ヒトサラ シェフズ・テーブル ダイジェスト vol.14 - ゲスト・青木 利勝氏 第2話 『世界が広がった大学生活…鮨職人への夢』

プロとして料理をこよなく愛する人々“Dish Artist”をゲストに、食のネクスト・トレンドを語るトーク番組『ヒトサラ シェフズ・テーブル』。Vol.13~16のゲストは、【銀座 鮨青木】の青木利勝さんです。

ヒトサラ シェフズ・テーブル ダイジェスト vol.14 - ゲスト・青木 利勝氏 第2話 『世界が広がった大学生活…鮨職人への夢』

活発で元気な少年は小学生の時に柔道に出会う。日本体育大学時代の合宿所生活で部員100人超の食事をつくる「食事当番」では、青木氏の得意料理で先輩たちの胃袋を掴み取る。部活動だけではなくプライベートも充実した大学時代には、禁止されていたアルバイトやファッションモデル、週末のディスコ通いと華やかな世界にも。部活動からプライベートまで、青木氏の学生時代を振り返る。

第2話『世界が広がった大学生活…鮨職人への夢』

野蛮児が出会った、夢中になれる唯一のこと

――青木さんはどんな少年時代をお過ごしでしたか。

青木:昆虫を取りに行ったり、水晶を取りに行ったりと外でよく遊んでいました。習い事は書道や塾、そろばんとかいろいろやっていましたけど、どれも長続きしませんでしたね。でも唯一、柔道だけが続きました。

――活発な少年だったんですね。柔道はいつ頃まで続けましたか。

青木:小学校3年生から始めて、大学まで続けました。高校時代は先生の家に住み込んだりして正直、辛かったです。先生も私生活では優しいんですけど、練習中は厳しくて何度か逃げ出そうと考えてました(笑)。でもその柔道のおかげで大学までいけたので感謝しています。

多忙な部活の裏側で…

――やはり大学では部活に明け暮れていたんですか。

青木:小・中・高は順調にやっていましたが、大学の柔道部はレベルも高く、大変でした。でも、その辛い経験があったから今が楽だと感じられることが多いです。大学の合宿所では、1年生の時に「食事当番」があり、100人以上いる部員のご飯をつくったりしていました。僕はチャーハンが得意料理で、先輩から100円をもらって個人的につくってあげたこともありましたね。

――そのときから料理人の才能を開花していたんですね。部活以外の私生活にも興味があります。

青木:夜は遊びに行ったり、柔道部はバイト禁止だったんですが、キャバクラでボーイとかしたり、正直、悪いこともしていました(笑)。ファッションも好きでモデルに誘われて広告に載ったこともあるんですよ。

変わらない夢

――大学進学時、鮨職人になるか、進学するかで迷いはありましたか。

青木:義務教育を終えて鮨職人になることも考えていましたが、柔道で運よく高校、大学まで行けたので。大学進学を考える時も、父は「大学に行け」と言ってくれました。大学卒業時には、先生から教師の道を奨められましたが、鮨職人になることはこどもの頃から決めていましたので断りました。

ゲストプロフィール

青木 利勝 氏

1970年、埼玉県生まれ。伝説の名店【なか田】で修業した青木義氏を父に持つ。京都で過ごした少年時代から将来は鮨屋になることを夢見て高校、大学へ進学。卒業後には一年間アメリカへ“遊学”して食文化の刺激を受ける。帰国後、京橋の名店【与志乃】にて修業。その後、銀座にて父親の下で研鑽を積むが、父は1年目に他界してしまう。2代目として伝統を守りながら、柔軟な発想力で常に革新的な鮨を生み出し、激戦区・銀座で不動の地位を築く。

  ≫ 第3話:刺激的なアメリカ“遊学”、いよいよ修業スタート

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