ヒトサラマガジンとは RSS

2016.11.02食トレンド 連載

  • フランス料理
  • イタリア料理
  • シェフズ・テーブル
  • インタビュー

ヒトサラChef’s Table ダイジェスト vol.1 ゲスト・山本秀正シェフ1話『アメリカンドリームを掴んだ、不良少年』 - シェフの本音と食のネクストトレンドが聞けるトーク番組

プロとして料理をこよなく愛する人々(dish artist)をゲストに、食のネクスト・トレンドを語るトーク番組「ヒトサラ シェフズ・テーブル」。ここでしか聞けない本音トーク、飲食業界の未来など、旬な情報をお届けする美味しい時間をお楽しみください。

『暴走族だった僕が大統領シェフになるまで』(新潮社、2009年)という著書もある山本秀正シェフ。文字通り、“悪ガキ”だった高校時代は、暴走族に入って遊び呆けていたという。高校卒業を目前に将来の岐路に立ったとき、父親から「料理人になれ」と突然の宣告を受け、人生は大きく転換する。国内外のレストランをプロデュースし、インターナショナルに活躍する山本秀正シェフと、その波乱万丈な半生を振り返る。

第1回:アメリカンドリームを掴んだ、不良少年

ギラついていた高校時代

――高校に入ると学校に行かなくなりますね。どうしてドロップアウトしたのでしょうか。

山本:中学時代はサッカーに打ち込んでいましたが、高校はそのリバウンドなんでしょうね。でも、高校時代は楽しかったですよ。学校に行くふりだけして、学校に着かないこともありましたが(笑)。駅で会う友達によってその日に行く場所が変わるんですよ。「この人とはビリヤード」「この人とは麻雀」というように。それで15、16時になると、渋谷か新宿、池袋辺りに行って。同じ高校生を探して「悪さ」をするんですね。同じ年代の子を捕まえて「おいお前、何やってんだ」って。高校生同士、ギラギラしてるんですよ。人数を見て少なければ喧嘩をするし、多いと逃げる。そういう時代でした。

人生が変わった、父親からの言葉

――不良の世界を抜けて、大学に入ります。

山本:でも、大学は3日くらいしか行ってないんです(笑)。その頃は波乗りにハマって学校へ行くふりをしてサーフィンばかりしていました。1年生の夏休みの前、大学から親が呼び出されて「学校に来ていませんね」と言われました。それで親父は僕を思いっきり怒った。5時間くらい怒鳴り続けて、最後に「お前に合った仕事がある。料理人になれ」と言ったんです。そのときは、親父は頭がおかしくなったのかと思いましたよ。なんでそんなこと言うんだよ、と。当時は料理人がクローズアップされることもありませんでしたから、料理人なんてかっこ悪いと思っていたんです。

料理人、はじめの一歩

――秀さんは乃木坂のイタリアン【ハングリータイガー】で料理の基本を学ばれたのですね。

山本:調理場で仕事を覚えながら、築地で食材の買い出しをしたり、ウェイターもした。
当時は「仕事は見て覚えろ、見て盗め」という時代ですが、西麻布【キャンティ】出身だった阿部さんは、初めから必要なことを人に教えて、すぐ戦力にして、いいお店をつくろうというフィロソフィーがあったんですよね。すごく勉強になりました。働き始めてすぐ、立って仕事をしていると阿部さんが後ろからやってきて、足をポンポンと叩いて「ほら、こうやって足は開いて仕事するんだよ。この姿勢なら疲れないだろう」と言う。包丁とまな板の使い方や、包丁の研ぎ方から手取り足取り教えてくれるんです。

ゲストプロフィール

山本 秀正 氏

1956年、東京都生まれ。84年【リッツカールトン・ワシントンD.C.】総料理長に就任。米国レーガン大統領晩餐会総料理長を経て、ブッシュ氏、クリントン氏と3代にわたり米国大統領の晩餐会総料理長を務める。2005年には【マンダリンオリエンタル東京】初代総料理長に就任。現在、シンガポール【マリーナベイ・サンズ】をはじめ、国内外のレストラン監修などインターナショナルに活躍する。

この記事を作った人

ヒトサラ編集部