ヒトサラマガジンとは RSS

FC東京・森重真人の心に残る、競技人生を支えた味|トップアスリートの一皿

高校時代まで広島で過ごし、大分トリニータ、FC東京でプロキャリアを築く森重真人選手。2014年にはブラジル・ワールドカップにも出場し、世界のストライカーと戦ったセンターバックの原点を紐解いていく。そして、その記憶と結びつく思い出深い料理にもスポットを当てていこう。

FC東京の森重正人さんの行きつけ店

広島県出身の森重真人選手が思い出の味として真っ先に挙げたのは、郷土料理の名店だった。高校時代、チームメイトとよく食べに行った“青春の味”だ。

部活終わりに食べた思い出の味

    森重真人

「『ひらの』というお好み焼き屋さん。僕が通っていた広島皆実高校の近くにあって、すごく有名なお店。土日や夏休みの午前中に練習試合をよくしていたんですけど、終わったら食べに行くのが定番でした。美味しいのはもちろん量が多くて、しかも安い」

「ひらの」の看板メニューは、そばを包んだ広島風のお好み焼きに、ライスまで入れる「そばライス」。しかも、そばとライスの量をどれだけ増やしても500円(税込)の料金は変わらなかったというから驚きだ。

    通常価格750円の「そばライス(シングル)」。学生は今でもいくら増やしても500円で食べることができる<br />
。*すべて税込。

    通常価格750円の「そばライス(シングル)」。学生は今でもいくら増やしても500円で食べることができる
    。*すべて税込。

「学生にすごく優しいお店なんです(笑)。『今日、ダブルにしとくわ』とか『俺、トリプル、いくわ』とか話しながら。トリプル・トリプル(そば3倍・ライス3倍)までは食べられたけれど、4倍は食べられなかったですね」

    オープン当時は珍しがられていた「そばライス」は今や大人気商品に成長。商標登録も取得済み

    オープン当時は珍しがられていた「そばライス」は今や大人気商品に成長。商標登録も取得済み

 学生に優しかったのは、料金だけではない。お好み焼きに分厚い豚バラ肉が乗っているのも魅力だった。

「栄養満点だし、お腹いっぱいになるし、学生にとってパーフェクトな食事だったと思います。僕はさらにトッピングで、納豆とキムチを加えるのが大好きだった。この組み合わせが抜群に美味しいんです」

その後、「ひらの」は宅配を始めたので、「今は取り寄せて、家でも食べています」と言う森重選手。もっとも、これほど贔屓にしている「ひらの」と出会えたのは、サッカー人生における挫折がきっかけだったという。

  • 店主の平野満代さん。お店は平成元年7月(1989年7月)に開業して今年で31年目となる

    店主の平野満代さん。お店は平成元年7月(1989年7月)に開業して今年で31年目となる

  • 自宅兼店舗の店内には縁あるスポーツ選手たちの写真が沢山飾られている

    自宅兼店舗の店内には縁あるスポーツ選手たちの写真が沢山飾られている

ユース昇格を逃し広島皆実高校へ進学。挫折が与えてくれた成長、そしてプロへ

 森重選手は中学時代、サンフレッチェ広島のジュニアユースでプレーしていた。そのときのチームメイトには今、浦和レッズに所属する槙野智章選手がいる。だが、高校に進学する際、槙野選手はユースに昇格したが、森重選手にはその声が掛からなかった。

「悔しかったですね。それで僕は皆実に進学したんです。そうしたら、僕が上がれなかったユースに、知らない選手が入っていた。しかも、僕と同じ中盤の選手。『あの選手は、誰だろう?』と思って」

それが、のちにサンフレッチェのトップチームに昇格し、今は槙野選手とともにレッズでプレーする柏木陽介選手だった。

    コロナの影響で変則的なシーズンとなった今期のJリーグ。そのなかで上位争いを繰り広げるチームのディフェンスラインを支えている ⒸF.C.TOKYO

    コロナの影響で変則的なシーズンとなった今期のJリーグ。そのなかで上位争いを繰り広げるチームのディフェンスラインを支えている ⒸF.C.TOKYO

「県外(兵庫県)から入ってきて。『あの選手のせいで、俺は昇格できなかったのか』って(苦笑)。でも、陽介はすごく上手かったですよ、当時から。同じ広島なので(サンフレッチェ)ユースとは練習試合や大会でよく対戦するんですけれど、そのたびに『絶対に負けられない』と思いながら戦っていました」

 つまり、ユース昇格を阻まれたからこそ、高校サッカーに、そして「ひらの」のお好み焼きに触れることになったのだ。そんな森重選手の高校時代の目標は、サンフレッチェからのオファーを掴み取り、古巣に返り咲くこと――。

「2つ上の先輩の吉弘(充志)さんがサンフレッチェに入ったのを見て、格好良いなと思ったし、自分も、という気持ちに自然となりましたね」

 高校1年のときから試合に出て、年代別の代表にも選出。高校2年からはチームの中心となり、インターハイにも出場した森重選手は大型ボランチとして高く評価された。高校3年時、残念ながらサンフレッチェからのオファーは届かなかったが、大分トリニータから声が掛かり、プロとしてのキャリアをスタートさせる。

    FC東京を率いて今年で3シーズン目となる長谷川健太監督に見守られながら。昨シーズンは2位に終わり念願の初優勝に向けて、今シーズンの森重選手に懸かる期待は大きい

    FC東京を率いて今年で3シーズン目となる長谷川健太監督に見守られながら。昨シーズンは2位に終わり念願の初優勝に向けて、今シーズンの森重選手に懸かる期待は大きい

予期せぬプロの幕開け。新境地開拓とそこで掴んだ確固たる自信

「普通に、やれそうだな」と思っていたプロの世界は、しかし、甘くなかった。プロ1年目の2006年は公式戦2試合の出場にとどまった。

「なんで起用してくれないんだろう? って思いながら。イライラしているから練習やサテライトリーグで酷いファウルを犯してしまったりして、未熟でした(苦笑)。一個上の(梅崎)司くんも試合に出られていなかったから、ふたりで河川敷に行って、『バカヤロー』『なんで使ってくれないんだ!』『俺を使え!』って叫んで、『ザ・青春』みたいなことをした覚えもあります(笑)」

転機がやってくるのはプロ2年目の2007年夏。センターバックにコンバートされ、3バックの中央のレギュラーに抜擢されるのだ。

「大勢のお客さんの前でプレーするのは、こんなに気持ちのいいことなんだって。すべてが新鮮だったし、思い描いたとおりにボールが奪えたりすると本当に楽しかった」

 この頃、トリニータには森重選手、梅崎選手だけでなく、西川周作選手(現浦和レッズ)、金崎夢生選手(現名古屋グランパス)と、20歳前後の若きタレントが次々と才能を開花させ、チームに新風を吹き込んだ。

 森重選手にとって、ふたつ目の“思い出の味”は、この頃のものだ。

「別府にある『八新鮨』(はっしんずし)っていうお鮨屋さん。そこの大将もサッカーが大好きで、すごく仲良くさせてもらいました」

    瀬戸内海と太平洋がぶつかりあう豊後水道の荒波に揉まれ育った海の幸<br />
<br />

    瀬戸内海と太平洋がぶつかりあう豊後水道の荒波に揉まれ育った海の幸

大分から別府までは車で20~30分。試合が終わったあと、若手選手数人で「八新鮨」を訪れ、お鮨に舌鼓を打ちながら、終わったばかりの試合について語り合うのが、定番の流れだった。

  • 大分トリニータ時代の思い出。清武弘嗣選手(現セレッソ大阪)、井上裕大選手(現FC町田ゼルビア)、金崎選手(現名古屋グランパス)らと懐かしの一コマ(店主提供写真)

    大分トリニータ時代の思い出。清武弘嗣選手(現セレッソ大阪)、井上裕大選手(現FC町田ゼルビア)、金崎選手(現名古屋グランパス)らと懐かしの一コマ(店主提供写真)

  • 店主の右田将邦さんと(店主提供写真)

    店主の右田将邦さんと(店主提供写真)

「なんでも美味しいんですけど、特に思い出深いのは、フォアグラが乗っているお鮨。そこで初めてフォアグラを食べたんですけど、とにかく絶品でした。試合に出られるようになって、自分が稼いだお金で、回らないお鮨屋さんで、美味しいものを食べる。プロになったんだな、と改めて実感した瞬間でしたね」

2009年までトリニータでプレーした森重選手は翌2010年、FC東京へ移籍。2011年度の天皇杯では自らゴールも決めて優勝に貢献し、キャプテンとして、最年長としてチームを牽引している。

 2014年にはブラジル・ワールドカップのメンバーに選ばれ、コートジボワールとの初戦に出場した。そんな日本を代表するセンターバックにとって、「ひらの」のお好み焼きと「八新鮨」の鮨は、挫折から這い上がろうとしていた頃の、プロになって試合に出られるようになった頃の、“初心”を思い出させてくれる“味”なのだ。


後半・森重選手がオススメする行きつけ店は近日公開予定


*この取材は緊急事態宣言前に行ったものです。

プロフィール

森重真人(もりしげ まさと)
1987年5月21日生まれ、広島県広島市出身。8歳からサッカーを始める。サンフレッチェ広島Jr.ユースで活躍するがユース昇格はならず、広島皆実高校に進学。06年、大分トリニータへ入団し、08年のナビスコカップ優勝に貢献した。10年からFC東京に移籍。13年よりチームの主将に抜擢。この年から4年連続でベストイレブンに選出。日本代表としても14年にW杯出場。

撮影 / 中込 涼

~森重真人の心に残る、競技人生を支えた味~

この記事を作った人

取材・文/飯尾篤史

大学卒業後、編集プロダクションを経て、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属される。2012年フリーランスに転身。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』、『岡崎慎司 未到 奇跡の一年』等がある。

この記事に関連するエリア・タグ

編集部ピックアップ

週間ランキング(12/2~12/8)

エリアから探す