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ヒトサラChef’s Table ダイジェスト vol.2 ゲスト・山本秀正シェフ2話『フランス料理への目覚め』 - シェフの本音と食のネクストトレンドが聞けるトーク番組

プロとして料理をこよなく愛する人々(dish artist)をゲストに、食のネクスト・トレンドを語るトーク番組「ヒトサラ シェフズ・テーブル」。ここでしか聞けない本音トーク、飲食業界の未来など、旬な情報をお届けする美味しい時間をお楽しみください。

ヒトサラChef’s Table ダイジェスト vol.2 ゲスト・山本秀正シェフ2話『フランス料理への目覚め』 - シェフの本音と食のネクストトレンドが聞けるトーク番組

【ハングリータイガー】で料理人として働きはじめて1年が経つころ、阿部シェフからイタリア修業に行かないかと、誘いを受けた山本シェフ。19歳、あまり深く考えずに、好奇心での渡伊。しかし、車でヨーロッパを回っているときにフランス料理に出会い、今まで感じたことのない衝撃が体を走る。イタリア・フランス本場での修業から帰国、そして渡米のきっかけまで。「プロの料理人として勝負する」という決意を固めた、山本シェフの若き料理人時代を追う。

第2回:フランス料理への目覚め

「俺はフランス料理を習わなきゃいけない!」

――車でヨーロッパを回れらているときに、フランス料理に目覚めたんですね。

山本:ローマに住んでいたときに南仏に行ったんですね。モナコのF1レースを観るために行ったんですけれど、そこでフランス料理を食べたら、これまでに経験したことのない味だったんです。イタリア料理ばかり食べていると、フランス人のつくったブイヤベースのこってりとした濃厚な味がものすごく美味しく感じるんですよ。「これはすごい、俺は習わなきゃいけない」と思いました。

――それでイタリアの学校卒業後、いきなり三ツ星シェフでフランス料理界の巨匠、ロジェ・ヴェルジェさんのもとへ行き、南仏の世界的な名店で、修業されるのですよね。

日本でイタリア料理店の立ち上げに参加

――帰国していきなり六本木でイタリアン【ボルサリーノ】を立ち上げているんですよね。でも、秀さんとしてはフランス料理がやりたかったんでしょう。

山本:帰国後、イタリアン【キャンティ】の手伝いをしているときにその話がきて、「あれ?フランス料理をやる予定だったのにな」とは思いました。でも立ち上げのお店だし、やってみたいと。いい加減な気持ちでしたね。

――時代は、“イタメシ”という言葉がなんとなく定着し始めた頃ですね。

山本:そう。僕が日本を離れた頃から、イタリア料理の調子がよくなってきまして。

――バブルの時代というイメージです。それまでアルデンテという概念はなかったですからね。

山本:「かたくて食えない!」なんて言う人もいましたね(笑)。

――面白い時代でしたよね(笑)。

挑戦を欲し、新天地・アメリカへ

――【ボルサリーノ】が成功し、今度はビバリーヒルズのフレンチジャパニーズレストランの立ち上げに誘われますね。

山本:姉の知り合いが、ロサンゼルスのビバリーヒルズのど真ん中にお店をつくることになり、声がかかりました。姉はすでにアメリカに住んでいたので、アメリカに行っても住むところはある。お店の規模もかなり大きく、面白い立ち上げになりそうだし、やってみたいな、と。当時26、27歳ですしアメリカに行くとまた違った人生があるんじゃないかと思ったんです。日本も面白いけれど、アメリカでチャレンジしてみたいな、と。

――ビバリーヒルズで手がけた【チャヤ・ブラッセリー】は高い評価を受け、秀さんはフレンチと和食のフュージョン料理で名を馳せるんですよね。

ゲストプロフィール

山本 秀正 氏

1956年、東京都生まれ。84年【リッツカールトン・ワシントンD.C.】総料理長に就任。米国レーガン大統領晩餐会総料理長を経て、ブッシュ氏、クリントン氏と3代にわたり米国大統領の晩餐会総料理長を務める。2005年には【マンダリンオリエンタル東京】初代総料理長に就任。現在、シンガポール【マリーナベイ・サンズ】をはじめ、国内外のレストラン監修などインターナショナルに活躍する。

この記事を作った人

ヒトサラ編集部

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