<閉店>甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」Vol.10/【朝食喜心 kamakura】和食
新米がおいしい季節がやってきました。甘糟さんが訪れたのは、鎌倉に新しくできた朝食の店【朝食喜心 kamakura】。少しゆっくりと過ごしたい朝に、土鍋で丁寧に炊くご飯を、たっぷりの汁物とともにお気に入りの器でいただく。少し冷たくなった風で冷えた身体をあたためる朝ごはんは、一日の始まりを贅沢にしてくれます。
丁寧に炊かれた白いご飯が教えてくれたこと
食べることに関する話題で「最後の晩餐に何を食べたいか」という定番があります。つまりはこれ、あなたの究極の食事は何ですか、という問いかけですよね。
私ならこう答えます。
おいしいご飯とおいしいお水。
おいしいご飯を引き立てるために、ぱりっとした海苔かきゅうりの糠漬けでもあれば、それで充分。いいえ、それが最高の一卓なのです。
器は鎌倉のギャラリー『うつわ祥見』の祥見さんが監修。めし椀は小野哲平ほか作家もの多数。ゲストが好きなものを選べる。
鎌倉は佐助の【朝食喜心 kamakura】に行き、さらにその思いを強くしました。今年の春に開業した喜心はその名の通り、朝食専門のお店。佐助は佐助稲荷神社や銭洗弁天のある地域です。私が通っていた御成中学校もこの辺りでした。なつかしい。
品書きは2,500円の「朝食」のみ。土鍋で炊くご飯に、向う付け、汁物、お漬物、焼き魚がつきます。汁物は、『海鮮和風トマト汁』、『鶏と地野菜のみそ汁』、建長寺に伝承されているレシピを喜心風にアレンジした『喜心のけんちん汁』の三種類から選べます。けんちん汁は建長寺が発祥とされているのです。
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この日の向付は『トマトの煮びたし』。料理は京都の『草喰なかひがし』主人・中東久雄のご子息中東篤志さんが監修。
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この日の魚は『鰆の杉板焼き』。旬の食材を丁寧に料理する。魚にほんのり杉板の香りがついて、上品な味わいに。
何度か伺って三種類すべて味わいました。迷いますが、やっぱりお味噌汁が一番好きです。ご飯とお味噌汁というコーディネートは、いってみれば、白いシャツとデニムみたいもの。もっともベーシックだからこそ、個性が透けてみえるわけです。そこが楽しい。
と書いておいてなんですが、ここのカウンターで炊きたての白いご飯を口にすると、何が一番なんていちいち決めるのがばかばかしい、そんな気分にもなります。
汁物のお椀が見事です。漆の美しさも指すことながら、普通のお椀だったらたっぷり二杯分は入るであろう大きさがいい。「おかわりをお願いしてもいいのかな?」なんていう心配はいりません。ここの開業のために特注した、鎌倉在住の漆作家によるものだそう。家にも欲しいです、このお椀。
主役のご飯は、いくつも並べられためし椀のなかから、好きなものを選ぶことから始まります。お米は状態の違う三段階で供されます。
まず最初に「煮えばな」。これはお米がご飯に変わった時を指し、最も水分を含んだ、蒸らす前の状態。口に含むと、ほんの少し芯を感じることができます。次はしっかり炊かれ、ふっくらしたご飯。お漬物や汁物などの塩味と一緒に味わって、お米って甘いものなんだなあと思いました。
ご飯が炊けたら、蒸らす前の『煮えばな』をひとすくいお茶碗に盛り付けてくれる。
最後の「おこげ」は驚きの一枚でした。ベージュの焼き色のそれは、おこげというよりお煎餅に近いかもしれません。決して黒く焦げてはいないのです。ぱりぱりのおこげは粗塩でいただきます。このお塩はイギリスのマルドンとのこと。お酒のあてにも良さそう、なんて朝ごはんを食べながら考えてしまいました。
【朝食喜心 kamakura】で、お米の可能性を改めて思い知りました。この三段階を体験すると、きっとお米が、ご飯がより好きになると思います。
使われている土鍋は【再興湖東焼 一志郎窯】のもの。お米は山形のつや姫。強火で炊いても負けないお米を探したら、これになったんだとか。カウンター席に座れば、目の前で土鍋がぐつぐついうのを見られます。
最後に供される『おこげ』。綺麗に焦げ目がつき、パリパリの食感。
ところで、今年の夏は、私にとって凶暴な暑さと共に忘れられない夏となりました。六月半ば、母に膵臓癌が見つかったのです。厄介な癌ですが、幸い初期のうちに発見されたので手術を受けました。消化器を切ったり繋げたりしているので、術後は食事制限がいろいろあり、脂物は避けなければなりません。
食べることや料理をすることが大好きな母にはかわいそうな状況になってしまいました。退院した後、気晴らしにどこか外食に連れ出したくても、行ける店は限られます。そこで思いついたのが、ここ。まだ足元がおぼつかない母の手をとって、遅めの朝食を食べに伺いました。
この日のメイン、お味噌汁と、蒸らしてたきあがった白いご飯にお漬物。お漬物ももちろん自家製。
病院の食事に閉口していた母は、大きな手術を終えたとは思えないほどよく食べました。煮えばなも蒸らした後のご飯もおこげもしっかり味わって、こういったのです。
「ああ、おいしかった。シンプル・イズ・ベストね!」
すとんと腑に落ちました。
食べられるものの種類は減りましたが、横に広げられなければ縦に深くすればいいんだな、と思ったのです。
楽しい物事が沢山あるのはいいことですが、最近の私たちには選択肢が多過ぎます。だから、楽しむことより「こなす」ことに一生懸命になっているのではないでしょうか。
冒頭に書いた「最後の晩餐〜」という質問も、本来ならわざわざ考えなくたっていいのです。だって、食べることは生活だし、生活とは着々と積み重なっていくものですから。映画や小説のようにクライマックスがあって、ラストシーンがあるわけではありません。
白米を通じて、食べることの楽しさを再確認できるお店です。
リラックスできる雰囲気のカウンターとテーブル席。週末は夜の営業もあり。
著者プロフィール
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甘糟りり子
作家。1964年横浜生まれ。3歳から鎌倉在住。都市に生きる男女と彼らを取り巻くファッションやレストラン、クルマなどの先端文化をリアルに写した小説やコラムに定評がある。近著の『産む、産まない、産めない』(講談社)は5刷に。そのほか『産まなくても、産めなくても』(講談社)など現代の女性が直面する岐路についての本も好評発売中。『鎌倉の家』(河出書房新社)が9月21日に刊行。読書会「ヨモウカフェ」主宰。
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