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更新日:2018.08.17デート・会食 旅グルメ 連載

甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」Vol.9/【珊瑚礁本店】カレー

子供時代に通ったレストランでの食事は特別においしく感じるもの。誰にとっても昔から変わらない地元の店は、様々な記憶が思い出される宝物のような場所ですよね。鎌倉に住む甘糟さんの思い出が詰まっているお店はカレーの店【珊瑚礁本店】。まだ海外旅行が遠い憧れだった時代の昔から人々に愛され、今も行列が絶えない名店です。

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かつての憧れの大人の味は、今やなくてはならない日常の味

 鎌倉で好きな景色の一つが、七里ヶ浜の坂からの海。

 プリンスホテル沿いの広い急な坂から、海を見渡すと十代の夏を思い出します。振り向くと、自分が何者でもない、だからこれから何者にでもなれると信じていた青くさい女の子が歩いている気がするのです。通学路でもなかったのに、なぜだかね。

    【珊瑚礁本店】の前は海を望む、まっすぐな坂道

 その坂を登りきると七里ヶ浜のプロムナードで、そこに【珊瑚礁本店】があります。開業の1972年当時、私は小学生。あの頃、七里ガ浜にはレストランはほとんどありませんでした。海外旅行は一部の人たちのもので、円の為替相場が1ドル300円を超えていた時代です。初めて訪れたのは開業から数年後でしたけれど、まだハワイは遠いところにある楽園で、このお店の雰囲気でそれを知ったのです。

    外と一体感のある店内。吹き抜ける風が気持ちいい。

 珊瑚礁といったら134号線沿いのモアナマカイ店をイメージする人が多いと思いますが、私にとってはやっぱりプロムナードにある本店です。

 好きなメニューは『ビーフサラダ』。好きというより、思い出深いといったほうが正確かもしれません。フレンチドレッシングがかかったサラダの横にしっかり味つけされたビーフがあって、バゲットも添えてあります。けっこうなボリュームのこれらすべてが一つのボウルの中に収まっているんですよ。昭和の十代には、すき焼きでもステーキでもないビーフはちょっとしたカルチャーショックでした。ビーフのたれの味が染み込んだバゲットを口にすると、何かすごい大人っぽいことをしている気になったものです。

    【珊瑚礁】のロングセラー、『ビーフサラダ』1,500円(奥)、『ドライカレー』1,200円

 このビーフサラダが雑誌POPEYEで「サーファーに人気の一品」として紹介され、珊瑚礁の名前はさらに広まっていきます。海から上がった空腹のサーファーに、あのボリュームであのバランスのボウルがウケたのでした。ネットなどない頃、POPEYEや JJ、ananといった雑誌は情報の宝庫。スキー場やディスコで仲良くなった東京の友達が雑誌を見て、ドライブがてら、これを目当てに海沿いまで遊びに来ることもよくありました。クルマで遠出をすることも、80年代の若者にとっては立派なレジャーだったのです。ハワイの香りをまとった珊瑚礁は格好のデスティネーションでした。

    『ガーリックポテト』680円、南国気分を盛り上げるカクテル『ワヒネ』800円

 『ビーフサラダ』の他に、友人たちと一緒によく注文したのが『ドライカレー』。

 最近はひき肉のカレーをドライカレーと称するようですが、カレー粉を使ったピラフのような炊き込みご飯をドライカレーと呼ぶという認識です。【珊瑚礁】のドライカレーは昔ながらのピラフにカレールウまでかけられています。

 かつては、『ビーフサラダ』や『ドライカレー』に加えて『ガーリックポテト』や『アンチョビポテト』まで頼んでいたのですから、若者の食欲ってすごいと我ながら思います(それでもウエストは今よりふた回りは細かった。涙)。

    冬だけの限定メニュー、『仔羊のスープカレー』1500円は隠れた人気メニュー

 年齢を重ねるとともに、自分の中では珊瑚礁の位置づけが変わっていきました。憧れの大人の味から、自慢の地元の店、鎌倉に帰ってきてからは、日常のメニュー、というふうに。

 それは、ずっと変わらずここに珊瑚礁が存在していてくれるからなんですよね。変わらずに、と書きましたが、そう見えるには、小さな進化をたくさんしていることでしょう。

 珊瑚礁を経営する武内郁さんは幼稚園と小学校の同級生。野球少年でかけっこが速かったカオルくんはよく目立つ人気者でした。私もけっこう脚が速かったので、お互いクラス対抗とか学校対抗のリレーの代表でバトンを渡したこともあります。私は勝手に、カオルくんは野球選手になるのかと思ってましたよ。

    オーナーの武内 郁さん。お父様が経営していた【珊瑚礁】で自分も働きたい、と誓ったのは小学校2年生の頃。以来様々な飲食店での経験、【珊瑚礁】のシェフを経て現在は経営に専念。

 元々は極楽寺で牛乳配達のお店をされていました。あの頃は、毎朝、瓶に入った(紙パックではありません)牛乳が届くのが日常の風景でした。カレーを作るのが得意だったカオルくんのお父様が、バターや牛乳、生クリームをふんだんに使ったカレーのお店【雪印パーラー 珊瑚礁】を出したのが始まりでした。

 店前の遊歩道の椰子の木は、開業当時、お父様が植えたものだそうです。2メートルだったものが今では8メートル。重ねてきた時間が目に見える、最高のインテリアです。

    【珊瑚礁本店】限定メニュー『ビ―フカツカレー』1600円

 先日は、カオルくんが本店だけのメニューだという『ビーフカツカレー』を勧めてくれました。カツカレーなんて何年ぶりだろう。今の私にはちょっとヘビーかなあと戸惑いつつも注文すると、全然部活っぽいものではなく、レア気味のカツが大人向けですっかり完食しました。たまには自分の定番を崩してみるのは楽しいですね。

 カロリーを消費するために歩いて帰ろうと坂を歩くと、心地よい潮風に包まれました。プリンスホテルの前辺りで制服姿の自分とすれ違った気がします。

珊瑚礁本店

  • 住所:神奈川県鎌倉市七里ガ浜東3-1-2
    電話:0467-31-5500
    営業:11:30~21:00(LO、火~金曜)、11:30~15:00(LO)、17:00〜21:00(LO、土~日曜)*9月8日~は11:30~21:00の営業になります。
    定休日:月曜日
    予約不可

著者プロフィール

  • 甘糟りり子
    作家。1964年横浜生まれ。3歳から鎌倉在住。都市に生きる男女と彼らを取り巻くファッションやレストラン、クルマなどの先端文化をリアルに写した小説やコラムに定評がある。近著の『産む、産まない、産めない』(講談社)は5刷に。そのほか『産まなくても、産めなくても』(講談社)など現代の女性が直面する岐路についての本も好評発売中。『鎌倉の家』(河出書房新社)が9月上旬発売予定。読書会「ヨモウカフェ」主宰。

▽甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」バックナンバー

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