甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」Vol.11/【ハウス・オブ・フレーバーズ】カフェ
鎌倉には、四季折々に食べたくなる名物があります。ここ【ハウス・オブ・フレーバーズ】のマロンシャンテリーはその筆頭と甘糟りり子さん。日常のなかの小さな楽しみ。ことあるごとに通う空間は、日々の暮らしのいろんなところに甘い幸せを運んでくれます。
お菓子を通じて、日常の暮らしの楽しさを受け取れる
鎌倉山のハウスオブフレーバーズは料理研究家のホルトハウス房子さんが営む洋菓子のお店です。中でもチーズケーキは代名詞的な一品。クリームチーズとサワークリームが二層になっていて、シナモンの効いた生地がそれを包んでいます。濃厚な味わいやしっとりとした感触は、口にする度にクラシカルなものの良さを思い出させてくれます。値段も含めて「日本一のチーズケーキ」なんていわれておりますね。
イートインできるのは、このチーズケーキ、またはチョコレートケーキと飲み物のセット(2,700円)のみ。
その昔、鎌倉山にあるホルトハウスさん宅のホームパーティに伺ったことがあります。私がまだ学生だった頃。父と母についていきました。外国の方もたくさんいらして、はなやかな集まりだったのですが…。
夕暮れも近づき、テラスの向こうの空がだんだんと紺色に染まっていった頃のことでした。テラスの方から「ご〜ん!」と分厚く大きな音がしたのです。なごやかな雰囲気は遮断され、みんなが驚いてテラスの方を向くと、うちの母がおでこを押さえてうずくまっていました。
おっちょこちょいの母は、夕暮れを眺めにテラスに出て、戻ってくる時、どなたかが閉めたガラス戸に気がつかなかったのです。あまりにピカピカに磨かれていたので。
お店の小さなカフェスペースからは、四季折々の鎌倉山の絶景が楽しめる。
「テラスの扉にぶつかったのは、幸子さん(うちの母)と鳥ぐらいよ」
ホルトハウスさんはそういって、笑っていらっしゃいました。
ハウスオブフレーバーズは鎌倉山の急な斜面にあります。店の奥は一面ガラス張りで鎌倉山の谷戸が見渡せる。鬱蒼と繁る緑の中にそこだけ浮いているような空間といったらいいでしょうか。この景色はわざわざ訪れる価値があると思います。
ご自宅と同じように、ここのガラスも常にきれいに磨かれています。建てる時、急斜面の窓ガラスの掃除は危ないからプロに任せることという約束を建築家の方と交わし、全面ガラス張りになったそうです。
小さくても開放感のある店内。
建築を手がけた斎藤裕さんはほとんどの作品が個人宅。彼のイズムを私たちが体験できる貴重な空間がここです。ホルトハウスさんからは「葉っぱみたいにして欲しい」というのが唯一の注文でした。店の中央には、緩やかな曲線を描いた一枚板のカウンターがあります。胡桃の木で、エレガントな曲線は自然のもの。建築家は最初にこれを見つけ、この曲線に合うように空間を設計したといいます。これ、と思うものを生かすために他が存在しているわけです。
一度食べたら忘れられない、マロンシャンテリー(3,000円、飲み物つき)は10月、2日間だけのお楽しみ。今年はもう予約がいっぱいとのこと。
毎年、秋になると楽しみなのが限定メニューの『マロンシャンテリー』。年に二日間だけ、お店のみで味わえるメニューです。何度も裏ごしした栗の中にぶどうが隠れていて、生クリームがマロンを囲むように添えられている、というもの。ハウスオブフレーバーズらしく味はしっかりと濃厚、なのに食感は幻かと思うほどはかないのです。軽いのではなく、「はかない」。これを味わった後は、口の中と心にいつまでもその残像が漂ってしまう。私は甘いものは好きでも一度にたくさん食べられないのですが、これだけはお代わりしてしまったことがあります。追いかけても追いかけても、まだ知れないという気持ちになるのですよね。いつか、このマロンシャンテリーのような女性を小説の登場人物にしたいと思っています。ちゃんと書けたらすごく魅力的になるはずです。
あつかましくも、マロンシャンテリーの日数をもっと増やしたらどうかとホルトハウスさんにお伝えしたことがあります。すると、そんなことをしたら職人さんの手首は持たないとの答えでした。それぐらい何度も何度も栗を濾すのだそう。
カットすると、洋酒のいい香りがふわりと漂うフルーツケーキ。写真は大きいサイズ12,500円
マロンシャンテリーが終わると、サンクスギビング・デーからフルーツケーキが発売されます。八月に各種のフルーツやナッツをそれぞれに合ったお酒に漬けておき、八月終わりから九月になったら焼いて、コニャックをふりかけて密封し、寝かせておかれたものです。コーヒーや紅茶もいいですが、私はこの時間と手間をウイスキーのあてにしたい。少しずつ切り分ければ、クリスマスまで楽しめます。
こんなふうに四季折々の楽しみが鎌倉山にあるのです。
ヴァレンタインには毎年、お世話になった方にこちらのチョコレートケーキやチョコレートブラウニーをお送りしています。暖かくなってきたら、春の限定メニュー『オールドファッションストロベリーケーキ』がやってきます。こちらは、さくさくの生地を崩しながら、時々、添えられた生クリームをかけたりして、煮詰めた苺を味わいます。今年の夏は異常な暑さでしたから、生姜の味がしっかり効いているジンジャーゼリーの味わいが身にしみました。
少しだけ緑がかった明るいブルーのショッピングバッグのイラストは、故・金子国義さん。お買い物をする度にわくわくします。
一つ一つのお菓子を通じて、日常の暮らしの楽しさを受け取っている、そんな気がします。
ショッピングバックのこの色は、お店のキーカラー
2013年の晩秋、父がなくなったのですが、自宅から見送りたかったこともあって、葬儀は身内だけで行いました。その後、たくさんの方がお焼香にいらして、叔母から「香典返しは章さん(うちの父)を思い出せるように、何か鎌倉のものにしなさい」と助言を受けたのです。あれこれ考えたのですが、思い切って父の仕事関係の方や私の友人にはハウスオブフレーバーズのチーズケーキにしました。父が最後に口にしたお菓子はこちらのクッキーでした。たいていは父をしのびながら味わってくださったようですが、中には「香典返しにチーズケーキ?」と驚かれた方もいました。
ここでコーヒーを飲みながら窓の向こうの谷戸を見ていると、時々あの時のこと思い出します。
ハウス・オブ・フレーバーズ
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住所: 神奈川県鎌倉市鎌倉山3-2-10
電話: 0467-31-2636
営業時間:11:00~17:00
定休日:水曜日
マロンシャンテリーの今年の予約は終了しています。
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【ハウス オブ フレーバーズ】
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電話:0467-31-2636
住所:鎌倉市鎌倉山3-2-10
店舗詳細はこちら >
著者プロフィール
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甘糟りり子
作家。1964年横浜生まれ。3歳から鎌倉在住。都市に生きる男女と彼らを取り巻くファッションやレストラン、クルマなどの先端文化をリアルに写した小説やコラムに定評がある。近著の『産む、産まない、産めない』(講談社)は5刷に。そのほか『産まなくても、産めなくても』(講談社)など現代の女性が直面する岐路についての本も好評発売中。鎌倉暮らしや家族のことを綴ったエッセイ『鎌倉の家』(河出書房新社)を9月に刊行。読書会「ヨモウカフェ」主宰。
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