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更新日:2017.02.27グルメラボ

知られざる日本のカフェの歴史

お気に入りのカフェありますか? 素敵な雰囲気やコーヒーの香りに包まれると、日々の中にオアシスを見つけたような気持ちになれますよね。カフェの文化が日本に根付き始めた頃、憩いの場の提供だけでなく、意外なものの代わりだったことをご存知でしょうか。

知られざる日本のカフェの歴史

時とともに移ろいを見せる、日本のカフェのかたち

近代的な様相を兼ね備えていた日本初の本格カフェ

 日本で初めてのカフェは1888年開業の東京・上野にあった【可否茶館】と言われており、開店した4月13日は喫茶の日とされています。
 創業者の鄭永慶は、元々学校を作りたいと考えていました。しかし、当時上流階級の社交場になっていた鹿鳴館に対抗し、一般庶民の知的な交流の場を提供したいなどの理由でカフェの経営を選んだのだとか。そのつくりは国内外の新聞や本、娯楽品が揃う近代的なものでしたが業績が振るわず、わずか4年で幕を下ろしてしまいます。

文明開化の音とともに急速に拡がったカフェ文化

 同じく明治時代、洋食流入の本格化に伴い続々とカフェがオープンしてゆきます。代表的なものをいくつかご紹介しますと、多くの文化人の集いの場として愛された会員制カフェ【カフェー・プランタン】、一説では『銀ブラ』の語源とも言われる庶民向けチェーン店【カフェー・パウリスタ】、和服にエプロン姿の女給の接客が印象的なメイド喫茶【カフェー・ライオン】など、それぞれが特色を打ち出して人気を博しました。

『コーヒー輸入禁止』から立ち上がった日本人のカフェへの愛

 第二次世界大戦により、贅沢品とされたコーヒーの輸入が完全に禁止され多くのカフェが転業や廃業に追い込まれました。戦後を迎え世の中が落ち着き始めると再びカフェ業界も息を吹き返し、輸入が再開されたコーヒー豆のほとんどは個人経営のカフェで消費されていたのだとか。
 なかでも音楽を演奏するカフェが流行し、多くのミュージシャンを輩出していくことにもなります。同じ音楽の趣味を持つ人々の交流の場としても愛された音楽系カフェの存在ですが、音楽サービスやオーディオ機器などの低価格化が進むとともに数を減らしていきました。

コミュニケーションが希薄になった世相をあらわすカフェ業態

 昭和後半のバブルの足音が聞こえる頃になると、人々は忙しい時間を効率的に使おうとし始め【ドトールコーヒー】のようなセルフサービスのカフェが急増しました。また、1970年ごろに名古屋で漫画喫茶が誕生し全国に広まったほか、現在ではコンビニエンスストアで販売されるチルドカップコーヒーも人気を呼んでおり、カフェの業態でもパーソナル化が進んでいると言えます。

 人々が集う場所の提供から始まったカフェの歴史。最近では効率化を図る現代にふさわしく、カウンター席のみなどのひとりでも気軽に利用できるカフェが増えましたが、ひとりで利用するばかりではなんだか寂しい気もしてしまいます。
 親しい人たちとパーッと飲みに行くのもいいですが、たまにはカフェでゆっくり会話をしてみると、ひと味違ったコミュニケーションを楽しめるかもしれません。

この記事を作った人

坂野絵美

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