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更新日:2022.05.31旅グルメ 連載

長崎県・島原市【Pesceco(ぺシコ)】~ヒトサラ編集長の編集後記 第41回

長崎県島原市、アクセス困難な浜辺に佇む小さなレストランが、これだけ注目を集めるのはなぜでしょう。「里浜ガストロノミー」を標榜するシェフ、井上捻浩さんの料理は、伝統を未来につなぐ唯一無二な魅力に満ちているようです。

ペシコの内観

島原の里浜ガストロノミー

コロナがもたらした影響のひとつに、地方の魅力が再発見されたということがあげられます。移動が制限されたため地元や国内が深掘りされ、古き良きものが見直される傾向がありました。

島原もひょっとしたら、そんなディスティネーションのひとつだったのかもしれません。でも、それがなかったとしても、このレストランの価値は、じわじわと全国に浸透していったことでしょう。

長崎県島原市、東京起点で考えるとアクセスが困難な浜辺に佇むレストラン【Pesceco(ぺシコ)】。「里浜ガストロノミー」を標榜するシェフ、井上捻浩(いのうえたかひろ)さんは30代半ばの方で、小さいころから鮮魚店を営む父の魚を自分が料理してみたいという思いを持っていたのだとか。

「山も川も急なので大地の養分がぜんぶ海に流れてしまう。それをプランクトンが食べ、いりこが食べる。ここの海は本当に豊かな恵みです。僕はこの地の恵みを料理を通して表現したいんです」

始終笑顔を絶やさない井上シェフの言葉です。

海に面した建物のなかに入ると、借景に海を取り込んだ窓のある部屋を通ります。前回は昼に来たので、それがジェームズ・タレルのアートのように感じたのですが、今回は夜なので、サンセットの海が広がる南の国のバーの風情を感じました。

    カタクチイワシの塩漬け「エタリ」のタルトから始まる「浜辺の散歩」

    カタクチイワシの塩漬け「エタリ」のタルトから始まる「浜辺の散歩」

カウンターに座り、シャンパーニュをいただきながらのアミューズ。

まず登場する「浜辺の散歩」と題された3品は、この地の伝統食であるカタクチイワシの塩漬け「エタリ」のタルトから始まります。そしてウニ、イカといったこの浜辺で獲れる恵みがそれぞれフィンガー形式で登場し、まさに目の前の浜辺を歩いているような気分になります。

ヴァン・ナチュールと「がんぱのガネダキ」

    「野草と貝」

    「野草と貝」

「野草と貝」と題された皿では、こう貝という巻貝が使われます。地元では幸貝と書いて幸せをもたらす貝と言われることもある美味しい貝で、それに自生するクレソン、冷たいいりこ出汁がかかっています。おばあちゃんの白あえからのヒントだとシェフ。

春っぽい苦みの皿にワインはオーストラリアのサトウ・ワインズのリースリングが添えられます。

「波紋のように」と題された皿は、オコゼと米のサラダ。茹でたお米を酸を含ませた玉ねぎとあえた酢飯に、魚醤と浅炒りのごま油でマリネしたオコゼの肝とウニと肝和えを忍ばせています。泡は目の前の海で取れた昆布を煮出した昆布水です。

オコゼの肝が味に深みを醸し、浜辺の波のような昆布の泡ともにスプーンで救っていただきます。

余市はモンガク谷の「桧」が出てきました。セパージュを見るとピノ・ノワールが76%の淡い複雑さを残したフレッシュなワインです。

    「牡蛎/スープ」

    「牡蛎/スープ」

続いて牡蛎のスープです。原木シイタケ、パルマハムを山の湧き水で煮てつくった地味豊かなスープです。ごろんと大きな牡蛎は旨味の塊で、それをスープとともにいただきます。ワインがスパイシーにも感じ、面白い組み合わせです。

ワインはナチュール系のワインを、それも軽やかで遊びごころの多いものを合わせてくるのも、ぺシコの個性的なところでしょう。

    井上シェフと奥様の息の合った連携も微笑ましい

    井上シェフと奥様の息の合った連携も微笑ましい

シェフがスライサーで生ハムを切り始めます。カウンターの中は奥様との2人作業。息の合った感じが微笑ましい。井上シェフが魅力的なのは笑顔で幸せそうに料理をつくること。それが伝わってくるんですね。

あつあつの太刀魚のフリットに生ハム。デラウエア感満載のワインはスーパーデラックス2019です。ジュース感覚で合わせます。

この一品だけで行列ができる専門店が開けそうな気がします。

    「fish&ham」

    「fish&ham」

料理が好きで、ワインが好きで、いつもワインとどう合わせるか考えてるという井上さん。つい飲みすぎてしまうこともしばしだとか。

次のワインはドメーヌ・グロス、アルザスのソービニヨンブラン。「ワインが主張しすぎないようバランスを常に考えています。そのへんやはり魚料理には日本ワインは魅力的だと思いますが、この料理はこれでいってみてください」と井上さん。

「がんぱのガネダキ」です。

今回のメニューのなかでは一番意味不明だったものです。がんぱ? ガネダキ? 何それ? みたいな。

要は、<がんぱ=棺桶、ガネ=蟹、ダキ=炊き>ですと。

棺桶?
「フグのことなんですよ。関西でテッポウって言うじゃないですか。隠語です。死ぬリスクがあっても食べたいというくらいおいしかった魚です。それを梅干しとニンニクの葉で甘く煮る郷土料理があるんですが、その再構築です。ガネはカニのことですが、炊いてるとぶくぶく泡が出て、それがカニの泡に見えるところから来たみたいです。今回はタタキにしたフグを梅干しを入れた酒、ニンニクの葉のオイル、乳酸発酵した大根でサラダ風に仕立てました。ザボン、大根の花もアクセントに」。

ミネラリーなワインも手伝ってか、日本の郷土料理が軽やかな羽根を持って海を渡ってくるような、ファンタジーを感じてしまう料理でした。

    「がんぱのガネダキ」

    「がんぱのガネダキ」

一期一会の記憶

後半か、箸休めか、次に出てきたのはガネ。カニです。

    「多比良ガネ/手延素麺」

    「多比良ガネ/手延素麺」

「地元の多比良ガネという渡蟹です。僕が小さいころから食べてきたもので、それと島原の手延素麺でつくったカニ素麺です。まさに自分たちを育ててくれた食材。そういうものがいろいろあって、伝統的な料理法もたくさんあります。僕はそれらを受け継いで自分なりに考え表現して、未来に伝えていきたいんです」。

カニ素麺はブルゴーニュのアリゴテとともに登場し、カニの甲羅を開けると、その下には美しい麺が蟹肉とともに光っています。内子が入ったメスです。カニの旨みをたっぷりと吸った冷たい素麺は、体の火照りを抑えてくれます。

料理はぜんたいフレッシュで若々しい。ワインのセレクトもそうです。そこに淡い苦みも程よく加わり、女性に人気の理由も分かる気がします。どこか青春を感じる。

    「鮑/アスパラ」

    「鮑/アスパラ」

そして鮑の料理です。合わせるのはアスパラ。ヨーロッパの春ですね。

ワインはフランス・ジュラから醸造者ジェローム・アルヌの名を冠したGAのサヴァニャン100%のもの。シェリーとかマルサラにちかい感じで、ナッティで余韻が長いもの。肝ソース、磯のフレーバーとあわせていただくと、また茫洋とした春の海の風景が広がります。

ここでようやくパンが出てくるのですが、うるち米を椿から取った酵母で発酵させたもので、もっちりとした食感に香りがすばらしい。ソースを全部すくっていただくのに最適な感じです。

    「クエ/たまねぎ」

    「クエ/たまねぎ」

井上さんが藁焼きを始めました。いい香りが広がります。クエの登場です。ワインはオーストラリア南西部はホッフキルシュのザ・ブラン、オレンジっぽいニュアンスです。絞めて3日ほどのまだ水分が残ったクエの炭焼きに新玉ねぎのローストが添えられます。

「ソースが去年の熟成発酵させた玉ねぎと、今年のものとを混ぜてつくってます」。

時間差で訪れる香りと味の面白さ。その香りにつつまれたクエの優しく甘い脂にもうひとつの甘みを湛えた玉ねぎが寄り添い、やさしいエンディングです。

    ペシコの井上シェフ

最後に鍋が登場しました。「記憶」と題された締めのおじやです。

「今日つかったすべての魚から取ったスープでつくりました。最初はそのまま、2杯目はカニを入れて召し上がってください」

ワインはハンガリーのケークニュレ。わずか3時間ほどカウンターに座っていただけですが、じんわりといろんなことが頭をよぎっていきます。ほどよい眠気は、今夜の記憶を定着させるか、はたまた忘却の波にさらわれて消えていくのか。

こんな儚さが、一期一会の食事の魅力に違いないと思ったり。

    だいだいでつくる生キャラメル

    だいだいでつくる生キャラメル

鈴木ファームの薫り高き花茶に、はっさくとミルクのデザート。最後にはだいだいでつくる生キャラメルをいただきました。 

「僕の料理はすべて記憶のなかにしまい込んだいただきものなんです」
と井上さんはいいます。
素敵な言葉です。

この記事を作った人

小西克博/ヒトサラ編集長

北極から南極まで世界100カ国を旅してきた編集者、紀行作家。

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