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更新日:2017.05.28食トレンド 連載

杉本 敬三シェフ第1話 ~18歳。料理人歴、10年目~|ヒトサラ シェフズ・テーブル ダイジェストvol.10

プロとして料理をこよなく愛する人々“Dish Artist”をゲストに、食のネクスト・トレンドを語るトーク番組『ヒトサラ シェフズ・テーブル』。Vol.9~12のゲストは、【ラ・フィネス】の杉本敬三シェフです。

杉本 敬三シェフ第1話 ~18歳。料理人歴、10年目~|ヒトサラ シェフズ・テーブル ダイジェストvol.10

自身を「料理オタク」とも呼ぶ杉本シェフだが、その料理人人生のスタートは驚くほど早かった! 小学校低学年の頃から並々ならぬ情熱を注ぎ、高校生になると全国クッキング選手権で優勝。そのときすでに、レストランのフロアを1日借り、料理をふるまって客人をもてなしていたという。幼い頃からプロという意識をもち、技術の習得、味の追求をしてきたその向上心には、料理人ならずとも脱帽すること間違いなし。料理人を志したきっかけ、そして渡仏を決めるに至った経緯を、シェフ自身とともに振り返る。

杉本敬三シェフ 第2話:18歳。料理人歴、10年目

料理人としての出発点

――杉本さんは料理人として、非常に早熟だったのですね。

杉本:料理人として一歩を踏み出したのが8歳です。でも、サッカー選手だと幼稚園からサッカーを始めている人もいますよね。浅田真央ちゃんは3歳からですよ。そう考えると僕なんて「ひよっこ」ですよ。

――でも8歳のその前の段階から料理がすでに好きだった。

杉本:そうですね。包丁でりんごの皮をむいたりとか、そういうのはずっとしていましたね。最初は母の手伝いだけだったんですけれど、あるとき父が「そんなに料理が好きだったら、料理人になってみたらどうや」みたいなことを言って、自分用の包丁を買ってくれて……。それが8歳のときだったんです。

ひとりでフルコースを食べに行く高校生

――高校時代はどうされていましたか。

杉本:料理の世界はひとまずおいてサッカーをやりたかったんですが、1年生の夏に不整脈が出たのをきっかけに、やはり料理の世界に入ることにしました。そのときに、いろんな料理を1回につき1万5000円くらい出して、ひとりで食べにも行きました。

――高校生がひとりで?

杉本:ちゃんとネクタイをして行きましたよ(笑)。神戸の【ジャン・ムーラン】で食べたフランス料理がもう涙が出るくらいに美味しくて、きれいで。

――そんな高校生はなかなかいないですよね。食べながらメモを取るんですか。

杉本:メモは取らずに全部頭に入れて、帰ってからその味をできるだけ再現するように頑張ります。でも、サッカーでプロに行きたい人だって、中学生くらいになれば、ひとりでJリーグくらい観に行っていますから。

フランス留学を決めたきっかけ

――高校を出たあとは専門学校へ。どこかのお店のシェフに師事するのではなく、学校に入ろうと思われたんですね。

杉本:ずっと独学だったので、フランス料理の輪郭がまだはっきりと見えていなかったんです。やはり学校できちんとその輪郭をつかんでから就職したいというのがすごくあったんです。

――それで1年間勉強されて、フランスへの修業に行かれます。そのきっかけは?

杉本:神楽坂【ル・マンジュ・トゥー】の谷昇シェフから「君自身のキャリアは長いけれど、日本だと年功序列だから10年料理をやってきたとしてもキャリアはゼロ扱い。1番下からやるのはもったいない。やる気と実力だけで這い上がれるのはフランスだから、行ったほうがいい」と教えていただいて、それでフランス行きを決めました。

ゲストプロフィール

杉本 敬三 氏

1979年、京都府福知山市生まれ。料理が好きで、小学校3年生、8歳で料理人になることを決意し包丁と砥石を買ってもらう。19歳で渡仏。ロワールやシュノンソーやリモージュといった地方都市をあえて選び働きながら滞在し、ホテルレストラン【ボンラブルール】などのシェフを務める。フランスでの12年間に及ぶ修業を終えて帰国し、2012年、東京・新橋に「AUTODIDACTE」(独学者)をコンセプトに【レストラン ラ・フィネス】を開店する。2013年日本最大級の料理人コンペティション”RED”のU-35初代チャンピオンとなる。

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ヒトサラ編集部

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