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更新日:2017.05.21グルメラボ

箱のなかのおいしい日本文化「弁当」

「弁当」は日本が誇る文化のひとつで、「bento」といえば海外でも通じる浸透しています。私たち日本人にとっては身近な存在の「弁当」ですが、どのようにして今のような形になったのか、探ってみたいと思います。

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古くから米を持って出かけていた日本人

 携帯食・携行食は世界各地にありますが、日本ほど豊かに進化した国は珍しいのではないでしょうか。弁当文化が花開いた背景には日本で食べられているジャポニカ米の粘り気が強く、冷めてもおいしいという特性があるようです。
 
「日本書紀」には、5世紀頃、猟、戦、農作業の際、作業の途中で食事をとれるよう乾飯(ほしいい)を持っていったという記述があります。乾飯は米を蒸して乾燥した保存食で、湯や水に浸すかそのまま食べていたようで、『伊勢物語』東下りの段には「乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり」という一説があります。また、鎌倉時代には厳しい労務にいそしむ役人たちが、米を蒸した強飯を握った屯食(とんじき)を食しており、これがおにぎりの起源となりました。

おかずも入る容器の登場により弁当が生まれる

 当初、食事の持ち運びには竹の皮や笹の葉など、通気性がよく殺菌効果のあるものが使われていました。乾飯の容器は「かれひけ」といい、平安時代の初めに、破子(わりご)と呼ばれるようになります。破子は、異なる食事を分けて入れられるように仕切のついた初めての入れ物で、「使い捨てできる容器」「いくつかの部分に分けることのできる容器」という2つの意味を持ち、米や食事自体を指すこともありました。現在の弁当箱の原形となったのが面桶(めんつう・めんとう)というフタつきの容器、いわゆる曲げわっぱです。

「好都合」「便利なこと」を意味する中国南宋時代に作られた造語「便當(べんとう)」が、弁当の語源といわれています。1597年の辞典『易林本節用集』、同時代の日本・ポルトガル語辞典『日萄辞典』にも弁当という語が掲載されており、今日につながる弁当が誕生したのは安土桃山時代だと考えられます。

 この頃に、もともと高貴な人間が供の者にごちそうを運ばせていたのが、自分でひとり分の食事を携帯するというスタイルに変化したようです。織田信長が安土桃山城で大勢の人に食事を配るさいに弁当を発明し、「配当を弁ずる」から弁当と名づけたという説もあります。柴田勝家、豊臣秀吉ら、名だたる戦国武将たちがお弁当を広げている…想像するとほっこりする光景です。

ポスト「SUSHI」、世界に広がる弁当文化

 もともと富裕層の間に根付いた弁当ですが、江戸時代には庶民にも広まり、中期には弁当のレシピ本が出版されるようになりました。弁当の代名詞ともいえる「幕の内弁当」ができたのは江戸後期です。明治に入ると鉄道の発展とともに駅弁ができ、昭和初期には懐石料理を一箱に詰めた「松花堂弁当」が登場します。弁当はつねに日本の歴史とともに歩んできたのです。
 
 近年では海外でスシ、ラーメン、ヤキトリに次ぐ和食として弁当が注目されています。なかでも美食の国フランスでは弁当熱が急上昇。フランスの習慣では、昼食は仲間とゆっくり時間をかけて楽しむものでしたが、長引く不況の影響で昼休憩時間も短縮、昼食代の節約にもなる弁当を購入する人が増えたのだとか。

 2016年にはJR東日本がパリ駅に期間限定の駅弁店を出店、郊外のイッシー・バル・ドゥ・セーヌ駅には「小江戸へどうぞ」という駅弁専門店もあり、連日にぎわっているようです。フランス風にアレンジした「French Bento」が登場し、レシピサイトも盛り上がっています。小さな弁当箱のなかの日仏融合は、今後もますます進化していきそうです。

 学校や職場での昼食としての弁当、旅に携帯する携行食としての弁当、行楽で楽しむ弁当。私たちの暮らしのなかにはいたるところに弁当が存在します。この身近な日本文化が世界のスタンダードになる日は近いのかもしれません。

この記事を作った人

取材・文/塩川千尋(フリーライター)

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