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更新日:2018.09.12健康美食 グルメラボ 連載

残暑和らぐこの季節。香りも楽しめる、車浮代の「江戸の変わり飯」レシピ三品

時代小説家で江戸料理・文化研究家の車浮代さんに、現代人が忘れてしまった江戸の素朴で豊かな食事情を教えていただく第十二弾。厳しい暑さが少し和らぎ、食欲も回復するこの時期にぴったりな旬のご飯三品をご紹介します。ごゆるりとお愉しみくださいませ。

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残暑和らぐこの季節にぴったりな三品

[鮎鮓<あゆずし>]

 鮎の塩焼きを蓼酢<たでず>の酢飯と混ぜたお鮓です。

■材料(二杯分)
・鮎…大1匹
・温かい御飯…2杯
・蓼…大さじ山盛り2杯
(もしくは、青紫蘇5枚)
・酢…300ml
・塩…小さじ1/2 

■作り方
1)鮎の両面にまんべんなく塩を振り、焼いて身をほぐす。
2)蓼、もしくは大葉を細かく刻んで酢に混ぜ、塩を溶かしてから温かいご飯にかけ、1と合わせて切るように混ぜ、冷ます。

 中国の古書『食経』(620年頃)に「鮎は春生じ、夏長じ、秋衰え、冬死す。故に年魚と名付く」とあります。
 夏の間、川の上流で過ごした若鮎は、秋になると卵をはらみ、産卵のために下流に降りてきます。よって、この時期の鮎は脂が乗っていて、卵も一緒に楽しめます。

 また、古くは「年魚」と書かれていたものが「鮎」と書かれるようになったのは、神武天皇が遠征する際、あるいは神功皇后が新羅出兵の際に、勝敗を鮎で占ったからだと言われています。

昭和の頃までは実際に、鮎が川を上っていく量で、米の豊作・凶作が占われていました。

 また、鮎といえば鵜飼漁が有名です。その歴史は古く、隋の時代(西暦600年代)を扱った中国の歴史書の中に、倭の国(日本)で鵜飼が行われていたことが書かれています。

 夜、鵜匠<うしょう>が篝火<かがりび>を焚いた釣り船を出し、何羽もの鵜を操って、鮎を丸飲みさせます。

 鵜の喉はヒモで縛られているので、鮎は喉で留まっており、それを鵜匠が吐き出させるというユニークな漁です。
 鵜が捕った鮎の方が、網で捕った鮎に比べ、揉まれたりこすれたりしていない分、高価格で取引されています。

[栄螺飯<さざえめし>]

 サザエの肝も使った、苦味のある炊き込みご飯です。

■材料(四杯分)
・栄螺…5〜8個
・米…2合
・水…300ml弱
・酒…大さじ2
・醤油…大さじ1
・味醂…大さじ1
・山椒の水煮…小さじ1
・刻み海苔…適量

■作り方
1)栄螺は貝柱を切って身を取り出し、肝を含め、小さめのざく切りにする。
(取り出せない時は熱湯で1分ほど茹でるとスルリと抜ける)
2)洗米に水、酒、醤油、味醂、山椒と1を入れ、20分以上置いてから炊く。
3)炊き上がったらざっくりと混ぜ、茶碗に盛って刻み海苔をかける。

 我が国で捕れる代表的な貝の一種である栄螺は、壺型の丈夫な殻を持つことから、古くは焚き火にくべられ、蒸し焼きにして食べられていました。
 やがて口を上にして下から焼く、壷焼きが食べ方の主流に変わってゆきます。

 文献によると、古くは天正十六(1588)年、豊臣秀吉が聚楽第に於いて、後陽成天皇に「焼栄螺」を出した記述が残っており、「壷焼き」の記述は、慶安元(1648)年、信州小諸城主・青山因幡守宗俊公をもてなす際に、信州佐久の篠澤佐五右衛門滋野重長・良重親子が、重箱に入れた栄螺の壷焼きを献上したと記されています。

 今回使用した栄螺は、隠岐の島産のものを使いました。暖流と寒流がぶつかり、山から栄養豊富な水が流れ込む隠岐は、海藻の生育が盛んで、それらの海藻を食べる、豊富で美味な貝類に恵まれています。

 小野篁<おののたかむら>や後鳥羽上皇、後醍醐天皇など、高貴な方々の流刑地としての印象が強い隠岐ですが、それだけに離島でありながら、雅な宮廷文化が色濃く残っています。平安時代までは、海産物を皇室や朝廷に貢いでいた「御食国(みつけくに)」の一つでもありました。

 また、世界ジオパークに認定されているだけあって、摩天崖、通天橋、赤壁など、映画『ジュラシックパーク』に出てきそうな圧巻の絶景が目白押しで、自然の驚異と偉大さを感じさせてくれる島でもあります。

 ちなみに、同じ島根県内の石見銀山では、栄螺の殻に油を入れた「螺灯<らとう>」という照明具が活用されていました。

[信楽飯<しがらきめし>]

 番茶で炊いたご飯に、薬味とすまし汁をかけたご飯です。

■材料(四杯分)
・ 米…2合
・ ほうじ茶…8g
・ 水…600ml
・ 鰹出汁…600ml
・ 醤油…小さじ3
・ 塩…小さじ1/2
・ 茗荷…1本
・ 大葉…2〜4枚

■作り方
1)水を沸騰させ、ほうじ茶を入れて中火で2/3程度まで煮詰めたら、茶葉を漉して冷ましておく。
2)洗米に1を300ml入れ、20分程度置いてから炊く。
3)2を茶碗に軽く盛り、刻んだ茗荷と大葉と乗せ、温めて醤油と塩で味付けをした出汁を注ぐ。お好みで胡麻などを振りかける。

 お茶で炊いたご飯に「信楽」の名がついたのは、かつて近江国(滋賀県)の信楽町に、「朝宮」と呼ばれる日本最古のお茶の産地があったからです。
 延暦二十四(805)年、比叡山延暦寺の開祖・最澄が、唐より茶の種子を持ち帰り、嵯峨天皇の命により、弘仁六(815)年6月に「近江の国 紫香楽 朝宮」の地に植えたのが始まりと言われています。

 明暦三(1657)年に起こった明暦の大火をきっかけに、江戸の町の復興に集まってきた職人や人足のため、日本の外食文化が始まります。
 初めてできた外食店は、浅草金竜山にできた奈良茶飯屋だと言われています。
「奈良茶飯」とはその名の通り、奈良の郷土料理で、米に豆類や栗、季節野菜などを加えて、醤油と塩で味付けしたお茶(煎茶やほうじ茶)を加えて炊き込んだもの。これに味噌汁と一品おかずがついた定食が、大評判になりました。

 今ではお茶で米を炊くことは滅多にありませんが、現在でもほうじ茶で炊いた茶粥は、奈良や和歌山の郷土料理として残っています。

この記事を作った人

取材・文/車浮代

時代小説家/江戸料理・文化研究家。著書に『江戸の食卓に学ぶ』『江戸おかず12ヵ月のレシピ』『今すぐつくれる江戸小鉢レシピ』、ベストセラーとなった『春画入門』『蔦重の教え』など多数。TV・ラジオ、講演等で活躍中。国際浮世絵学会会員。http://kurumaukiyo.com

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