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更新日:2019.10.04食トレンド

男たちが目指す街。上質な薫香が漂う「銀座」には、男を惹きつける何かがある

銀座という街には、歴史と伝統によって醸成された上質な粋が存在する。その風格ある上質を味わうため、いつの時代も文人墨客をはじめ本物の紳士たちがこの街に引き寄せられてきた。紳士のたしなみ、その奥義をこれほど試される街はほかにない。ここでは、昭和のダンディたちが集った銀座の老舗をご紹介する。

 銀座は不死鳥のような街である。廃墟と化しては再生を繰り返すことみたび。最初は明治5年(1872)に起こった大火だ。これを契機に明治政府は、この街を文明開化の象徴にしようとレンガづくりのハイカラな街へと変貌させる。

 トップ画像/昭和30年代、酒場に集った紳士たちはみな、スーツにハットがお決まりの姿だった

紳士が集いし銀座の魅力とは

風格と伝統が醸し出す空気感、その源流を探る

    太平洋戦争が終わって間もなくの頃、【銀座・ルパン】で夜ごと酒を酌み交わしていたのが、無頼派と呼ばれた織田作之助、坂口安吾、そして写真の太宰治だった。写真家・林忠彦が撮影した著名な一枚である。いずれも銀座におけるバーの草分け、【銀座・ルパン】にて

 しかし、大正12年(1923)の関東大震災によって、銀座のレンガ街はほぼ全域が火災で焼失。またも灰燼に帰してしまう。このとき、結束して復興に向けて動き出したのが、銀座で多様な商いを営んでいた人々。その中には、後に紹介する【はち巻 岡田】の初代・岡田庄次おり、その奮闘ぶりは水上瀧太郎の小説『銀座復興』(岩波文庫)のモデルともなった。

 やがて震災復興の機運の中、松坂屋、松屋、三越といった百貨店が銀座に進出。モダンで洗練された街・銀座というイメージが形成されることになる。しかし、今度は太平洋戦争の災禍がこの街を襲う。昭和20年(1945)の4回に亘る空襲によって、銀座はまたも全域が焼き尽くされてしまうのだ。そして終戦後、現在も銀座のランドマークとして君臨する服部時計店(現・和光)を復興の象徴に、今に繋がる銀座が不死鳥の如く蘇ることになったのである。

 そんな銀座には、この街の歴史とともに生き続けてきた創業100年を超える老舗が今も数多く存在している。それも単に長い年月を生き延びただけではない。焼失と再生という歴史に翻弄されつつも逞しく商いを続けた人々の営みが厳然としてあるのだ。これは同じく老舗の多い京都にはない、銀座の特色なのである。だからなのか、銀座の老舗には、やわらかく客人を迎えてくれる、緩やかにして上質な本物のもてなしがある。

    左/昭和のダンディたちは、スコッチのストレートを嗜んだ。【銀座・ルパン】のカウンターにて。ショットグラスは創業時のものである 中/銀座2丁目にある「ヨネイビルディング」は昭和5年(1930)竣工。震災後に建てられ、空襲を免れた貴重な建築。モボ・モガが街を闊歩した往時を偲ばせる 右/水上瀧太郎著『銀座復興』のモデルにもなった【はち巻 岡田】の看板料理のひとつである『岡田茶わん』。名立たる紳士たちがご贔屓にした端正な味わい

 銀座で暖簾をくぐりたくなる店は、いずれもが実に心地よい。こちらが老舗だからと緊張せずとも、あるがままでいられる居心地のよさがあるのだ。銀座の名店で過ごす際に感じるこの独特のくつろぎ。その空気感を醸成しているのは、間違いなくこの街が幾多の苦難を乗り越え、大切に育んできた上質なもてなしであり風格なのだ。

 昭和のダンディたちが銀座に集い、この街をこよなく愛した理由も、そこにあるのだろう。

この記事を作った人

MEN'S Precious編集部

名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。

記事元:Men's Precious

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