ミッシェル・トロワグロインタビュー/さよなら【キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ】日本と巨匠シェフの素敵な関係
2006年、ハイアット リージェンシー 東京に登場し、以降ミシュランの二ツ星を獲得している【キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ】。1968年以降、50年以上ミシュラン三ツ星に君臨するフランス料理界TOPのシェフが自分の名前をつけた唯一のレストランとして、オープン当初から人気を博してきた。この、日本を愛し、日本に愛されたシェフの店が2019年末に閉店する。来日したミッシェル・トロワグロシェフに日本への想いについて、ミシュランについてインタビューした。
トロワグロファミリーは、小田急百貨店と1983年からのお付き合いです。当時の社長が食通でもあり大変フランス料理がお好きな方でした。そこでトロワグロのブティックをつくらないかとお声がけいただいたのが始まりです。ちょうど【アラン・シャペル】が神戸ポートピアホテルと連携したのもこの頃で、日本でそうしたホテルとフランスのグランメゾンが提携する、という時代でしたね。そのご縁があり、同じ小田急グループのホテルで、私に2006年レストランを開かないか、とお声がけをいただきました。
【キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ】の重厚感あふれる入り口
実は、トロワグロファミリーと日本人との出会いは60年代の初めにさかのぼります。そのころ初めて日本人の方が我々のキッチンに修行に来ました。自分たちの言葉とまったく違う言葉を話す人が世界にはいるんだ、と衝撃を受けた記憶があります。
日本との具体的に関係がはじまったのは、1967年【マキシム・ド・パリ】の初代料理長として、父、ピエール・トロワグロが就任してからですね。当時、私は9歳でした。父が日本から帰ってくるたびに、侍や富士山、茶道、そしてもちろん和食の話などをたくさんしてくれました。そのころの私にとって、日本は想像もできない遠い異国の地でしたから、父の話をとてもわくわくしながら聞いたことを覚えています。
自然光が入る気持のよいダイニング
そうですね。日本は私に多くのものをあたえてくれました。日本が一番といえるかわかりませんが、日本という国は、私のようなグランシェフが仕事をしに来た時に、私たちが日本の方に教えることと同じくらい、あるいはより多くのものを受け取ることができる唯一の国だと思います。お互いにいろんな刺激をやりとりできるというか。だからこそ、これだけ多くのフランスのシェフたちが日本に来たりするのではないでしょうか。
また、実際に訪れる、ということ以外にこの店があるからこそ、日本の素晴らしさを常に感じることができました。それは、初代料理長だったリオネル(リオネル・ベカ氏。現在【エスキス】料理長)や二代目料理長ギヨーム(現料理長ギヨーム・ブラカヴァル氏)の視点を通してです。彼らが情熱的に語る生産者だったり、日本の職人、手仕事だったり、素晴らしい飲食店や、ツーリストが行かない庶民的な風景や、地方のことだったり。本当に色々と知ることができました。そしてそれは、私たちに影響を及ぼしているかといえば、そうですね。例えば、トロワグロ本店のコックコートは日本製なんですよ(笑)
店内に残る、開店のときにミッシェル自身が柱に記したサイン
もちろん、食材の面でもありますよ。例えば10年前は生のわさびがフランスでは手に入らなかった。そこで金印さんの協力で、ロアンヌの畑のすぐそばにわさびを植えたりしました。なぜそんな出会いがあったかというと、三國シェフ(【オテル・ドゥ・ミクニ】三國清三シェフ)が金印さんのわさび田を案内してくれて。さらに、なんで三國シェフを知っているかというと、自分が17歳のときに修行していたスイスの【ジラルデ】に彼がいたんです。考えてみれば私の半生、日本人の方と会って友情を育て、日本に対してパッションをもち、学ぶ機会が多かった。今度トライしたいなと思っているのは日本の梅の品種をフランスの品種に継ぎ木をして日本の品種の梅で梅干をつくりたい。梅干し大好きなんです。
1960年代に考案され、ずっと愛されてきた【トロワグロ】のスペシャリテ『サーモンのオゼイユ風味』
基本的に、東京の料理は、ウーシユにある【トロワグロ】の延長にあります。けれど、私が伝えたいのは、ここで腕を振るうギヨームであり、以前の料理長リオネルの料理です。もちろん、最初のオープンのときは、私がメニューを考えガイドラインは作りました。けれど、その後はシェフたちにまかせる。彼らとともにトロワグロで働き、彼らが才能、経験もあることをわかっているのであれば、トロワグロの料理を記号化してくりかえし、枠をつくって閉じ込めるのではなく、彼ら自身が料理の中で自己表現することこそが、ここの料理なんです。
【キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ】現料理長、ギヨームシェフの逸品。『ラングスティーヌ ラフレシー 柿とバジル』
ウーシュの【トロワグロ】は我々ファミリーの根幹です。すべての源泉。ウーシュの店は、私たちが受け継いだ遺産であり、約束なのです。そのほかのレストランでは、それぞれのシェフたちにイニシアチブをとらせるということが、私たちのトロワグロの料理に対する考えです。シェフの仕事というのは、周りにいるスタッフに刺激をあたえることだと思っています。
日本のトロワグロファミリーの写真。初代のリオネルシェフ、ギヨームシェフ、大滝実シェフも勢ぞろい
二人ともエレガントでデリケート、皿が美しいです。特にリオネルは、細かいグラフィカルな盛り付けが美しいですね。彼はロアンヌにいたときから、地中海、オリエンタルな雰囲気がありました。ギヨームの料理は、デリケートですが、旨みの要素があったり、野菜を多くつかうところに特徴があり、非常に深く、奥ゆきのある味わい凝縮感を大切にしています。
彼は肉をロティする火入れが上手ですね。リオネルもギヨームも現代の料理人らしいすばらしい技術を持った若いシェフだと思う。彼らが【トロワグロ】のために働いてくれたことは私にとって宝です。
トロワグロ・ファミリー。左から、現【トロワグロ】料理人、長男のセザール、ミッシェル、マダムのマリー=ピエール、オーベルジュ【ラ・コリーヌ・デュ・コロンビエ】のシェフ、次男のレオ
今日の一番難しい質問です。「ミシュラン」という単語は子供のころから聞いている気がする。叔父や父や母から散々聞いてきた。この歳までくっついて離れない存在です。
そして、この「ミシュラン」という単語はいろんなことを意味しています。それは51年寄り添ってきた家族の誇りであり、素晴らしい輝きであり、そして重みにもなるものです。一方で「ミシュラン」の星というのは、はかないものだと思います。なぜなら毎年ガイドブックは新しくなる。それは毎年裁きが下されるということです。三ツ星を取ると料理人が評価される。そして一つでも星が落ちると、今度は店自体が責められ、働いている全員に影響を及ぼす。つまり、企業としての責任は星と結びついています。そういったデリケートな面も含めて、自分の事業にとってミシュランというのは非常に大きな部分をしめています。
ですから、「ミシュランとは、どういうものか」という問いに答えるのは非常に難しいですね。そう、「ミシュラン」というのはとても複雑で難しい存在だと思います。
ミッシェル・トロワグロ氏 プロフィール
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【トロワグロ】三代目オーナーシェフ。1958年4月生まれローザンヌ、パリ、ニューヨーク、ブリュッセル、ロンドンなど世界中の有名レストランで経験を積み、1983年【トロワグロ】で働き始める。1996年3代目オーナーシェフに。2004年フランスの最高栄誉章レジオン・ド・ヌール勲章を授与される。2006年東京・新宿のハイアット リージェンシー 東京内に【キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ】をプロデュース。
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取材・文/山路美佐(ヒトサラ副編集長)
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