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更新日:2017.05.28食トレンド 連載

ヒトサラ シェフズ・テーブル ダイジェスト vol.15 - ゲスト・青木 利勝氏 第3話 『刺激的なアメリカ“遊学”、いよいよ修業スタート』

プロとして料理をこよなく愛する人々“Dish Artist”をゲストに、食のネクスト・トレンドを語るトーク番組『ヒトサラ シェフズ・テーブル』。Vol.13~16のゲストは、【銀座 鮨青木】の青木利勝さんです。

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大学卒業後はアメリカに“遊学”。ロスの寿司屋でアルバイトをするも、担当は天ぷら。 アメリカの楽しさにのめり込んでしまう青木氏だが、その一方、日本にはないアメリカ独自の食文化に感銘を受ける。帰国後、まったく寿司を握らせてもらえなかった【与志乃】での2年間の修業。そして、修業時代の後に急に訪れる父の病気。鮨職人青木利勝のこれからの道はどうなるのか。

第3話『刺激的なアメリカ“遊学”、いよいよ修業スタート』

食に対する柔軟性を身に付けたアメリカ時代

――アメリカでの遊学を2年間、経験したわけですが、アメリカから帰国したら、鮨屋で働くことを決めていたんですか。

青木:はい。それは決めていて、修業の前に留学をしたいとも父にも伝えていました。でもクラブに行ったり美術館に行ったりとアメリカの楽しさにのめり込んでしまい、父にアメリカで寿司の修業をしてもいいかと聞いて、怒られましたね(笑)。

――しかしアメリカでの遊学により、青木さんの鮨への価値観というものが変わったと思いますが。

青木:今ではアメリカでの経験が生きてますね。遊学の経験から、世界やアメリカの食材を料理に取り入れることを考えました。今のお店では全体の100%のうち、80%は江戸前の料理、20%は変わったものを取り扱うようにしています。『牡蠣の握り』なんかもつくったりするんですけど結構おいしいんですよ。

【与志乃】での2年間、そして父のもとでの修業

――アメリカでの遊学が終わり、【与志乃】さんで修業を始めたと聞きましたが、そこで寿司を握り始めたということですか。

青木:寿司は握らせてもらえませんでした。とにかく掃除をして、立って見てることが多かったです。【与志乃】さんの店内は、1階が仕込場で2階が客席になっているんですが、一回も客席に行かせてもらえませんでした。

――2年間はずっとそのような修業ということですか。

青木:ほとんどがそうでした。2年間の修業が終わり、父のところで修業を始めたんですが、父のお店でも最初の1年は何もさせてもらえなかったですね。その1年後にやっと余ったシャリを使って練習することを許されました。

自立心を後押ししたのは、父の病気

――麹町ではそんな感じの修業ということですね。

青木:そうです。麹町では、お客さんにお鮨を出すことは一度もありませんでした。銀座のお店に移店したときにシャリを本格的に握り、初めてお客さんに出すようになりました。でも、その頃にちょうど父が病気にかかってしまったので自分がやらないといけないと思いましたね。

ゲストプロフィール

青木 利勝 氏

1970年、埼玉県生まれ。伝説の名店【なか田】で修業した青木義氏を父に持つ。京都で過ごした少年時代から将来は鮨屋になることを夢見て高校、大学へ進学。卒業後には一年間アメリカへ“遊学”して食文化の刺激を受ける。帰国後、京橋の名店【与志乃】にて修業を積む。その後、銀座にて先代の下で研鑽を積むが、一年目に父が他界してしまう。二代目として伝統を守りながら、柔軟な発想力で常に革新的な鮨を生み出し、激戦区・銀座で不動の地位を築く。

  ≫ 第4話:銀座1年目で父が他界…苦節乗り越え、現在、夢は

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