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更新日:2017.05.28食トレンド 連載

ヒトサラ シェフズ・テーブル ダイジェスト vol.16 - ゲスト・青木 利勝氏 第4話 『銀座1年目で父が他界…苦節乗り越え、現在、夢は』

プロとして料理をこよなく愛する人々“Dish Artist”をゲストに、食のネクスト・トレンドを語るトーク番組『ヒトサラ シェフズ・テーブル』。Vol.13~16のゲストは、【銀座 鮨青木】の青木利勝さんです。

ヒトサラ シェフズ・テーブル ダイジェスト vol.16 - ゲスト・青木 利勝氏 第4話 『銀座1年目で父が他界…苦節乗り越え、現在、夢は』

満を持して鮨職人の世界に入り、銀座で研鑽を積む青木氏。しかし、父の下で修業を始めた1年目に父が他界。守るべき家族も、借金もあったが、父の後輩、同僚、お客さん…父が残してくれた人脈が利勝氏を叱咤し、店を育ててくれた。“遊学”を経験し、食への考えが変わり、青木氏ならではの食のスタイルで、店は不動の地位を築きあげる。青木利勝氏が夢、鮨業界の展望を語る最終話!

第4話『銀座1年目で父が他界…苦節乗り越え、現在、夢は』

父が遺してくれたもの

――京都から銀座に引っ越し、その1年後に父が他界したということですがその後は。

青木:自分の教科書である父が亡くなってしまって、本当ならもっと教えてもらわないといけないことがたくさんありました。ここからが本当の修業なんだと思いましたね。京都でお店をやっていたころのお客さんも心配して来店してくれることもありました。

――父の残したお客さんのサポートもあったんですね。

青木:そうですね。でもそれだけではなく、京都の父の下に付いていた職人さんたちも「わからないことがあったらいつでも聞きに来い」って言ってくれて、聞きに行ってたくさん色々なことを教えてもらいましたね。

客が少なくても、ネタの質は下げない

――いままで青木さんのエピソードについて聞くことが多かったんですか、青木さんの鮨の特徴みたいなものはありますか。

青木:魚のネタは絶対に質を下げないってことですかね。お店が暇になってお客さんが来ない場合でもそこだけは絶対に守っています。

――すごいこだわりですね。シャリに対しても特別な思いみたいなものはありますか。

青木:シャリはシンプルで普通ですよ。赤酢とかも使いませんし、ちょっと硬めの人肌のシャリを使用しています。米は新潟のコメを使用していて新潟の米は冷めてもおいしいので。周りの鮨屋ではあまり使用しているところはありませんが、シャリというのは熱くもなく冷たくもない人肌がちょうど良く、新潟の米があっていると僕は思いますね。

――鮨職人ならではのこだわりですね。

鮨職人からお客さんに

――鮨屋に入るときにはやはり皆さん少し緊張することがあると思いますが、初めて来るお客さんに何かメッセージみたいなのはありますか。

青木:お店の人に顔を覚えてもらうことは、大切だと思います。常連になってくれれば同じ魚でもいい部位を出したくなったり、この人はたくさん食べるんだなとかその人の特徴とかもわかりますからね。常連になり、早く顔を覚えてもらうコツがあるんですよ。

――鮨職人からみて、お客さんにこれだけは守ってもらいたいマナーとかはありますか。

青木:まず、香水とか煙草の匂いはだめですね。それと握り手とお客さんの距離感も必要で、親しくなり過ぎてもよくないですし、その場の空気を感じていただきたい。父から教えてもらったのはお客さんと親しくなってはいけない。鮨職人と、お客さんの関係にしろ、と。

ゲストプロフィール

青木 利勝 氏

1970年、埼玉県生まれ。伝説の名店【なか田】で修業した青木義氏を父に持つ。京都で過ごした少年時代から将来は鮨屋になることを夢見て高校、大学へ進学。卒業後には一年間アメリカへ“遊学”して食文化の刺激を受ける。帰国後、京橋の名店【与志乃】にて修業を積む。その後、銀座にて先代の下で研鑽を積むが、一年目に父が他界してしまう。二代目として伝統を守りながら、柔軟な発想力で常に革新的な鮨を生み出し、激戦区・銀座で不動の地位を築く。

次回vol.16~17のゲストは、イタリア料理店【アロマフレスカ】の原田慎次シェフです。お楽しみに!

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ヒトサラ編集部

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