甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」Vol.21/【Akizuki(アキヅキ)】イタリアン
頬をなでる風に秋の気配を感じる今日このごろ。北鎌倉駅から徒歩数分のところにひっそりとオープンした古民家を改装したイタリアン【Akizuki(アキヅキ)】は、そんな秋にこそ訪れたいレストランかもしれません。日本とイタリアが気持ちよく融合したコース料理は、日本人のDNAにほっと染み入る味わいです。
日本とイタリアが溶け合う、イタリア料理店
ほんのふた昔前まで鎌倉界隈にはイタリアン・レストランなんてほんの数軒だったのに、今では比喩ではなく正確に数えきれないぐらいたくさんある(開業したかと思うとあっという間に閉店してしまう店も少なくないので)。テーブルに白いクロスがかかったドレッシーな店から気軽なワインバー的な店まで、それぞれが個性を競い合っている。個性がないと生き残れないのかもしれない。
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昔から変わらない、のんびりした雰囲気の北鎌倉駅。
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かつて、腰越に【ロアジ】というイタリア料理の店があった。江ノ電の腰越駅から歩いて数分、ドアの向こうに細長い空間が広がっている造りだった。「腰越のイタリアンがおいしいらしい」と聞きつけて、ある冬の土曜日の夜に出かけた。たまたま隣のテーブルに友人のグループがいたりして楽しかったし、何よりおいしかった。ダイナミックで男っぽい料理という印象を持った。
数年後、その【ロアジ】が江ノ島に移転した。江ノ電の江ノ島駅から江ノ島に抜けるスバナ通りという、観光客の多い道沿いだった。この通りには旅館や射的場なんかもあって、古き良き観光地の雰囲気がある。
オープンは2019年6月。「静かな場所でお店をオープンさせたいと思っていたときに、丁度いいお話があって北鎌倉にお店を出しました」と店主の秋月光広さん
今度はシェフの秋月さんと仲が良いという近所の友人と連れだった。観光客がひしめく場所だけれど、ここには地元の常連たちが集っていた。適度にカラフルで程よくカジュアルで、たいていの人がイタリア料理店に求めるものがかっこよく収まっていた。
友人いわく魚料理がオススメとのことで、メニュー選びは彼女に任せた。相変わらず輪郭のはっきりした料理で、料理も会話もワインも存分に楽しんだ。【ロアジ】はだんだん評判になり、噂を聞きつけた東京の友人からこの店に誘われたこともある。食べ歩き好きの人からは、店名だけでなく秋月さんの名前もよく聞くようになった。
ところが、2018年の春に【ロアジ】は閉店してしまった。秋月シェフには、席数を抑え一人で手が回る範囲で妥協のないレストランをやりたいとの思いがあるとのこと。新鮮な魚介類が手に入りやすい小田原の早川に新しい店舗の目星がついていると聞いた。
江ノ島の最後の日、件の友人一家とランチに出かけた。金目鯛やひらすずきのカルパッチョや桜海老と春キャベツのパスタ、穴子の蒸し煮などを堪能し、シェフに「早川のお店には一番乗りしますね」としつこいほど何度も伝えて、店を後にした。
店内にはカウンター席のほかに、ゆったりと椅子が配された美しいテーブル席が1つ
夏頃に開業するとのことだったけれど、音沙汰を聞かないうちに冬になった。たまにスバナ通り近くに用事があってロアジ跡地の前を通ると、なつかしさとさびしさを感じたりもした。
秋月シェフの新しい店【アキヅキ】が、小田原ではなく北鎌倉になったというニュースを知ったのは年明けだった。
円覚寺に父や義妹が眠るお墓があるので、境内に駅がある北鎌倉には定期的に訪れる。ここは海沿いとはまた別の「鎌倉」だ。厳かで静かでひっそりしているのに威厳がある、といったらいいだろうか。円覚寺の他には同じく鎌倉五山の建長寺や浄智寺、紫陽花寺とも呼ばれる明月院などがある。ちなみにサーフショップは一軒もない。
古民家を改築した1軒家レストラン。ひっそりとした入り口の木戸が目印
北鎌倉というロケーションを含めて【アキヅキ】というレストランは始まっている。駅前のメインの通りから一本奥まったところにあって、紺色の七宝焼の小さな看板が足元に置いてあるだけ。店名の横には三日月が描かれている。
こんなふうにひっそりと佇んでいる店は、【ロアジ】とはまったく別のキャラクターだった。ダイナミックに対して繊細、カラフルに対してシック、明るさに対して陰翳。そうか、江ノ島の人気店を閉めてまでやりたかったのはこういうスタイルだったのか、と思った。一人の料理人のこうした進化を体験できるのは楽しい。
コースの一品『フルーツサラダ』。「この季節は野菜が少ないけれど、フルーツが豊富。野菜やフルーツは六会の【ワイワイ市場】から購入しています」
何よりこの店の特徴を物語っているのは箸ではないだろうか。イタリア料理店なのだけれど、箸が用意されている。パスタだって箸でいただく。器も和食器を多用していて、大葉がのせられたアクアパッツァがお椀で出てきた時は驚いた。
店内はL字型のカウンターとテーブルが一つ。カウンター席に座って料理人の仕事を拝見しながら味わえるオープンキッチンは、日本料理店で時々見かける造りである。いってみれば料理人のライヴだ。
コースから『アクアパッツァ』(夏メニュー)。秋からは『ヴァポーレ』と名前を変えて季節の野菜と魚のスープ仕立てが登場。この日の魚は甘鯛。シンプルに昆布だしに、具材の魚と野菜の旨みが染み出した優しい味。
味覚も設えも内装も、イタリア料理と日本料理の間を微妙なバランスをとりながら進んでいる。けれど、ここがやっぱりイタリア料理の店だと思い知らされるのはワインの種類の豊富さと量だ。化粧室の手前がワインの倉庫になっていて、そこにはおびただしい数のワインやグラッパが並べられていて、インテリアのいいアクセントになっている。
最近は、フレンチとイタリアンの境目やフレンチと日本料理の境目や、もしくは中華料理と日本料理のそれや、いろいろな国の料理の境界線が緩やかになってきている。頭の固い私には戸惑うことも多いけれど、明確なイメージの下に境目を取り払われたのなら、それは確固たるスタイルなのだ。
先ほど北鎌倉というロケーションも含めてのレストランと書いたけれど、秋月という苗字も含めたい。まさしく秋の月のような佇まいのお店。秋月シェフのこれからの進化も必ず体験したいと思っている。
【アキヅキ】
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住所:神奈川県鎌倉市山ノ内1386-2
電話:0467-53-8740
営業:12:00~15:30、18:00~LAST
料理は昼コース3900円(7品)、夜コース7000円(10品)
※月曜日と金曜日はディナーのみの営業
定休日:木曜日(月に2回月曜日不定休) -
著者プロフィール
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甘糟りり子
作家。1964年横浜生まれ。3歳から鎌倉在住。都市に生きる男女と彼らを取り巻く文化をリアルに写した小説やコラムに定評がある。近著の『産む、産まない、産めない』(講談社)は5刷に。そのほか『産まなくても、産めなくても』(講談社)など現代の女性が直面する岐路についての本や、鎌倉暮らしや家族のことを綴ったエッセイ『鎌倉の家』(河出書房新社)など好評発売中
毎日読み物が更新されるウェブサイト「よみタイ」でも連載中
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