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更新日:2022.02.21連載

<連載短編小説>#もう一度レストランで|「春乃の夢」中江有里

恋人未満の二人をあとおしし、家族の記念日をともに祝い、おいしいお酒に友だちと笑う。レストランでのありふれた光景が、特別なものだったと気づいたこの数年。レストランは食事をするだけの場所ではなく、人と人とが交わり、人生が動く場所だった。これは、どこにでもあるレストランで起こる、そんな物語のひとつ。

#もう一度レストランで 春乃の夢 中江有里

「春乃ちゃんの夢はなあに?」
ある日友だちからそう訊かれた。夢と言われてすぐ思いつくのは、ただひとつ。
「お姉ちゃーん、お母さん、まだ?」
テレビを見ていたはずの「夢」は、冷凍庫の中のアイスを探しながら訊いた。
「昨日食べちゃったのでアイスは最後だよ」
「えー」
「夢」が絶望的な声をあげる。
姉は「春乃」、妹は「夢」、そう名付けたのはお父さんだ。二人の名前をつなげると有名な小説のタイトルになるらしいけど、春乃は読んだことがない。
でも春乃は自分の名前と妹の名前が好きだった。中学生になったらその小説を探そう、と思っている。
 
夢はアイスをあきらめて、テレビの前に戻った。
「あんまり近くで見ちゃだめだよ」
宿題をしながら夢に注意する。
春乃は去年までは学童保育に通っていたが、塾に行く子が増えたのを機にやめた。入れ替わるように新一年生の夢が学童に通い始めた。必然的に一番に帰宅する春乃は、夢とお母さんの帰りを待つのが日課となった。
「おなかすいた……」
夢が春乃のスカートの裾を引っ張る。空腹を訴える妹の頭に掌を置き、とにかくお米を研ごうと動いたその時、玄関で解錠音がした。

帰宅するなりお母さんは休む間もなく夕飯の支度を始める。時間と競争するみたいに。でもこの日は違った。
「春乃、夢、外に食べに行こうー」

自転車の後ろに夢を乗せたお母さんを、春乃は自分の自転車で追走する。久々の外食だった。お母さんが後ろの夢に話しかける。
「夢、何食べたい?」
「てんしんはーん」
夢の弾むような声に、春乃の心臓がドキッと跳ねた。お母さんはその店を目指して自転車を走らせた。
目的地のすぐ脇にある空きスペースに自転車を止める。まるであの日をなぞるように店の扉を開いた。
店内は春乃の記憶のままだった。若い男性店員に案内されて、お母さんと夢が横に並び、向かいに春乃が座る。何度も座ったことがある四人掛けの空いたままの一席に意識が傾く。お母さんはどうして急にここへ来る気になったんだろう。
「春乃は何にする」
メニューを見る前から春乃は決めていた。
「天津飯」
「じゃあ、三人とも天津飯」
店員に天津飯をオーダーしてから、お母さんはお水を一口飲んだ。
「春乃、ごめんね」と小さく頭を下げた。
急に謝られて春乃は困惑したが、お母さんは構わず続けた。
「今日でお父さんが亡くなって一年なの」

一年前の今日、家族四人でこのお店で夕飯を食べた帰り道、お父さんは突然自転車ごと倒れた。救急車で運ばれ、そのまま家に帰ってこなかった。心筋梗塞だった。
それから目まぐるしく時は流れた。
仕事のために早く家を出て、夕方まで帰らないお母さんの代わりに春乃は夢の世話をし、家事も少しずつやってきた。お母さんがいないとき、夢にせがまれて家族旅行の写真を見返すこともあった。
幼い夢はお父さんが死んだことをまだ悲しめない。嬉しそうに写真を見ては「みんなでどこにいったの?」と訊いてくる。だから春乃は夢の前で泣かないようにした。

「お父さんがいなくなって、春乃にはつらい思いをさせてきたね」
春乃は自分の目元が熱くなるのを感じた。
お父さんもお母さんも、隣にいる夢も自分も悪くない。この理不尽な現実がいつか醒める夢ならよかったのに。
「はるちゃん、泣かないで」
夢がおしぼりで顔を押さえつけるように春乃の涙をぬぐった。
「お待たせしました、天津飯です」
店員が三人の前に楕円の皿を置いていく。
黄金色の卵焼きの上にかかった透明の餡がキラキラと光っていた。一年前、同じ天津飯を前にしたお父さんは笑顔だった。
この店に来たのはあの日以来。ほわほわと湯気が立つ天津飯を前に自然と手を合わせる。
「この天津飯は酸っぱくなくていいんだ」
関西生まれのお父さんは、同じ関西出身の料理人が作る出汁の効いた天津飯を好んだ。
春乃はレンゲで餡と卵が絡んだご飯を口に運びながらお父さんを思い、時々泣いていた。お母さんも鼻をすすりながら食べていた。
空いた皿を互いに目で確認した。
「何か言いたいことがあったら、言ってね」
お母さんの言葉に少し考えて、春乃はいう。
「たまに、外食したいな」
「春乃は、外より家のご飯が好きなんじゃないの?」
「お母さんの料理は好きだけど、もっと話したいから」

    #もう一度レストランで「春乃の夢」のイラスト

「また天津飯を食べに来ようよ。お母さんと夢と三人で話したい」
四人で笑いあった日々は戻らない。でもお父さんのことは忘れたくはない。
「そうね、そうしよう」
そしてお父さんのことを思い出そう。春乃は心の中でそうつぶやいた。
三人は手を合わせて、目を合わせると声をそろえた。
「ごちそうさまでした」







著者プロフィール
  • 中江有里

  • 中江有里
    女優・作家・歌手。1973年大阪府生まれ。法政大学卒。
    89年芸能界デビュー。数多くのTVドラマ、映画に出演。
    読書に関する講演、小説、エッセイ、書評も多く手がける。
    近著に小説『万葉と沙羅』(文藝春秋)、『残りものには、過去がある』(新潮文庫)など。
    文化庁文化審議会委員。
    2019年に歌手活動を再開。2021年1月にアルバム『Port de voix』、9月にシングル「コントレール」を発売。

中江さんオススメのお店
特に好きなメニューは『プリンアラモード』と『パフェ』。友達や妹など、気の置けない相手と行きます。一階でお菓子を買って帰ることも。気持ちがあがるカフェです。

特に好きなメニューは『プリンアラモード』と『パフェ』。友達や妹など、気の置けない相手と行きます。一階でお菓子を買って帰ることも。気持ちがあがるカフェです。

この記事を作った人

文/中江 有里 イラスト/yasuna 構成/宿坊 亜華梨(ヒトサラ編集部)

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