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更新日:2022.09.21食トレンド

未来に語り継がれる四川名菜を生み出す井桁良樹シェフの新たなアトリエ|広尾【飄香】

四川料理の名店の一つとして名高い【飄香】。オーナーシェフの井桁良樹シェフが、2022年7月、麻布十番の本店を広尾に移し新たなスタートを切りました。「思い切り料理に没頭できるアトリエにしたかった」と、16席の小ぢんまりとした空間にし、メニューの考案から仕込み、営業中の料理までほぼワンオペで行っています。膨大な知識と熟練の技だけでなく、井桁シェフの考え方や思い入れも込めて生み出す未知の料理を早速レポートします。

飄香

四川料理一筋33年。知識と情熱あふれる井桁シェフの集大成的アトリエ

昨年秋に麻布十番の本店を閉め、新しい舞台の準備を入念に進めてきた井桁良樹シェフ。場所は、賑やかな広尾商店街を抜け、明治通りへと向かう途中、コンクリート打ちっぱなしのスタイリッシュなビルの1階ですが、入口には看板もなく、プライベート感あふれる佇まい。重い扉を開けて中に入るとアーチ型の通路の向こうに、オープンキッチンのダイニングが現れます。

    飄香

    扉を開け、アーチ型のトンネルのような通路を抜けると、井桁シェフのアトリエ兼キッチンと、ダイニングが現れる

井桁シェフが新しい料理を生み出すアトリエを兼ねたキッチンは、ダイニングの半分以上を占めています。すべての客席からキッチンで料理に勤しむ井桁シェフの姿を見ることができますが、カウンターではなくテーブル席なので、同伴者との会話も楽しみつつ、ゆったりと料理やお酒を堪能できるのです。

    飄香

    中国では、春の到来を知らせる吉兆の意味として重宝される「割れた氷」を表した窓格子に竹の植栽の緑が映える

麻布十番時代は、古き良き成都をコンセプトに、中国・華北や北西地方に多く見られる「四合院」と呼ばれる伝統的な建築様式をイメージしたインテリアでしたが、今回は、随所に井桁シェフがコレクションしてきた美術品が飾られているものの極めてシンプル。井桁シェフ自身もコック帽は被らず、モダンなデザインのコックコートに身を包むなど、「新たな四川料理を生み出していこう」という決意を感じることができます。

伝統の継承に留まらず、クリエイションに挑戦

都内で4店舗を経営・指揮しながら、自らも料理人として日々厨房に立ち、尚且つ長い歴史と共にある中国料理や薬膳の知識を深める井桁シェフ。2018年には、四川料理の由緒正しき継承者として「中国川菜松雲門派技藝傳承人」の認定を受けました。この資格を持つのは、日本ではまだ2人、四川料理人としては、井桁シェフのみです。

    井桁シェフ

    「一人で料理に没頭できるのが嬉しい」と話す井桁シェフ

伝承者としての責任は果たしながらも、「古書を紐解き、何千年も前に作られた『四川名菜』を作り続けるだけでよいのだろうかと考えるようになった」と話す井桁シェフ。「昔の人たちも時代の流行、より良い食材や調理法で料理を更新していたはず。私も今の時代に合う食材、技法などを交え、自分自身の考えを反映させた現代の『四川名菜』を完成させたい。そんな決意を持って、このアトリエを作りました」

仕込みから料理の仕上げまでほぼワンオペにしたのは、「1人でやるからこそ、気づきがあり、修正を重ねながら前に進めるからです。スタッフが大変なのを見ているのも心が痛みますし……。一人でやっていれば誰にも遠慮することなく、納得がいくまでとことん突き詰められますから」と笑顔で話す井桁シェフ。人に優しく自分に厳しい人柄、そして料理が好きでたまらないという愛がひしひしと伝わってきます。

手間暇を惜しまず最善を尽くして究極を目指す

創業当初から、四川料理に欠かせない香辛料、乾物は最高レベルのものを入手。化学調味料は一切使わず、自家製にしていることで知られている【飄香】。さらに「野菜やキノコ類などは、半日から1日乾燥機に入れて風味を凝縮させると余計な味付けをしなくても旨味を深めることができます」と井桁シェフ。

とろみをつけるのも、片栗粉を使うのではなく、オクラや豆類など粘りのある野菜を乾燥させパウダーにしたものを使ったり、木耳をトロトロに煮込んだりするとのことで、口当たりが軽やか、滑らかに。おいしさの追求だけでなく、食後感、健康まで気遣う丁寧な仕事も井桁シェフの料理の特徴です。

    飄香

    「食材を乾燥させて旨味を深める、食感を出す、あるいはパウダーにして香りや彩りを添えるなどしています」と井桁シェフ

14の物語が紡ぐ知的なコース

    飄香

    14品の少量多皿で構成されるコース。各料理を漢字2文字で表現した、漢詩のようなメニュー

新しい店では、やりたい料理に集中するためにランチやアラカルトはやめて、ディナーでコース料理のみを提供しています。現在のコースは全14品。少量多皿ですが一品一品に井桁シェフの考えや思いが込められた物語があります。

「もちろんすべて四川の伝統をリスペクトし、味の構成や基本の調理法は守りながらも、いくつかの名菜をバラバラにして良いところを組み合わせて再構築する料理もあれば、よりおいしくなるよう日本の良い食材に置き換えたり、歴史を紐解く中でこういう食材も使っていたのでは?と想像したり。キッチンにいる時間よりも机に向かっている時間のほうが長いかもしれません」と井桁シェフ。

現在提供されているコースの一部を紹介します。※基本的に仕入れや季節によってメニューは変わります。

    飄香

    『琵琶』 漬物の発酵エキスの柔らかな酸味で牡丹海老をマリネにし、楽器の形に仕立てた美しい前菜

四川でポピュラーな漬物“泡菜“。この発酵エキスでマリネした牡丹海老を、泡菜エキスを乳化させてゼラチンで固めたシートで覆っています。パリッと焼いて琴軸に見立てた海老の尾も味わいのアクセントに。そのほか、青山椒オイルやムージャン、青柚の皮の香りも忍ばせてあります。

    飄香

    『文明』 三重・熊野地鶏の2つの部位、腿肉(左)と胸肉(右)を違う料理法で

左は、低温調理して軽くスモークした腿肉に、18種の香料と鶏と鴨の出汁をかけたスパイスの香りと柔らかで上品な食感を楽しむ料理。右は、蒸してしっとりさせた胸肉を細切りにし、マンゴーと共に韃靼蕎麦粉のクレープに包んでいます。黄河文明を起こし、四川料理の始祖とも言われるイ族が韃靼蕎麦を栽培していたという史実に基づき考え出されたメニューです。

    飄香

    『松雲(ソンユン)』 井桁シェフが修業先で感動した味を、今の時代に合う美味食材で再構築 

豚レバーとナマコを煮込む伝統料理『肝油海参』をベースに、豚ではなく香りの良い大分冠地鶏の白レバーを使い、食感をなめらかにするために皮付き豚肉の脛肉で巻いています。これを、ナマコと共に豚肉とムール貝のエキスで煮込むなど、さらにおいしくするための工夫を重ねて昇華させた力作です。添えられている本物さながら、松茸を模した蒸しパンも感動的!

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    『貴妃』 四川省出身の楊貴妃をイメージし、翡翠色の冬瓜に黒鮑の煮込みを詰めた優美な一品

鶏、鴨、豚、干牡蠣、干スルメ、干貝柱、椎茸、金華ハム、フカヒレ軟骨を長時間炊いてとったスープで煮込んだ黒鮑を鶏のスープで煮た冬瓜に詰め、ワインが好きだったという楊貴妃のエピソードにちなんで、当時は西安あたりで飲まれていたのではないかと想像するオレンジワインを煮詰めたソースを添えています。さらに、楊貴妃の名前『玉環(スイファン)』にちなんで、翡翠のネックレスをイメージで冬瓜のパウダーをトッピング。

    飄香

    『潤潤』桃と杏仁のソルベを、白木耳を長時間煮込んだトロトロのスープで。身体が潤う薬膳デザート

木耳といえばコリコリの食感を思い浮かべますが、デザートでは、トロトロに煮込んでゼラチンのような食感に仕立てています。薬膳では、木耳も、杏仁、桃も肺や肌を潤すといわれているそうです。

    飄香

    杏仁豆腐の材料となるアンズの種の皮も、井桁シェフ自らひとつ一つ手剥きしている

    飄香

    旨味や香りを重ねた繊細さと素材の力を兼ね備えた井桁シェフの料理に合わせて、土壌と葡萄とポテンシャルがしっかりありながらもエレガントな味わいのワインを厳選。井桁シェフと熟練のスタッフが試飲を重ね、考え抜いたペアリングでぜひ

    飄香

    【飄香】に入社して10年の熊谷泰代さん。淀みない料理説明、臨機応変で細やかなサービスも素晴らしい

特別な日、特別な人と思い出深い時間を過ごすにふさわしい極上のレストラン

スープをとるにも、中国料理の場合、鶏、鴨、豚、金華ハム、干した魚介などなどいくつもの食材を使います。一つ一つの風味を活かしながら美しいハーモニーを奏でるようバランスをとり、繊細さと力強さを兼ね備えた味にまとめるのも料理人の腕の見せどころ。料理ごとにスープや食材のエキスを使い分けたり、時に味を重ねたり。一切の妥協を許さず、気が遠くなるような丁寧な仕込みをいくつもこなして実現する、まさに今まで味わったことがない高度な美味に誰もが胸を打たれることでしょう。

    飄香

    中国の名窯・景徳鎮にオーダメードした器の数々はもちろん、美しい窓格子、壁にかかる中国のアンティークを模した藍の絨毯、進取・向上の精神や幸福の象徴と言われる白馬の置物、幸運のシンボル馬蹄など井桁シェフの四川料理や中国の歴史への敬意と熱意でつくり上げられた特別な空間

この記事を作った人

撮影/今井 裕治 取材・文/藤田 実子

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