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更新日:2017.09.25グルメラボ 連載

秋の味覚を堪能。松茸や薩摩芋を使った、車浮代の「江戸の変わり飯」レシピ三品

時代小説家で江戸料理・文化研究家の車浮代さんに、現代人が忘れてしまった江戸の素朴で豊かな食事情を教えていただく第四弾。食欲の秋にお薦めしたい、旬の食材を使ったご飯物のレシピ三品をご紹介します。ごゆるりとお愉しみくださいませ。

秋の味覚を堪能。松茸や薩摩芋を使った、車浮代の「江戸の変わり飯」レシピ三品

江戸の変わり飯レシピ

初秋にお勧めの「変わり飯」三品をご紹介

 この季節、食料品店や売場を訪れると、活気がみなぎっているのを感じます。北の海から脂を蓄えて南下してくる秋刀魚や鯖や鰹、山ではさまざまな茸が獲れ、田畑では多くの食物が収穫期を迎えます。

 これら豊富な食材の中から、初秋にお勧めの江戸ご飯、三品をご紹介致します。

『松茸鴨飯』

 鴨と松茸の相性は抜群で、炊き込み御飯以外にも、すき焼きや鍋物にしても美味しくいただけます。

    松茸、鴨肉、すだち、黒胡椒

    松茸、鴨肉、すだち、黒胡椒

■材料(三人前)
・松茸… 2本
・鴨肉(または合鴨肉)…100g
・米…2合
・酒…大さじ2
・味醂…大さじ2
・醤油…大さじ2
・塩…少々
・すだち…1個
・黒胡椒…少々

■作り方
1)米は洗って分量の水に30分以上浸す。

2)鴨肉は大きめのみじん切りにする。松茸は固く絞った濡れ布巾で表面を拭き、石突きを削いで手で裂いておく。

3)1に2を入れ、酒、味醂、醤油、塩を入れて炊き、黒胡椒とすだちを添える。

    『松茸鴨飯』

    『松茸鴨飯』

 「香り松茸、味しめじ」と言う言葉があります。

 これは、茸の中で最も香りが良いのは松茸で、最も味が良いのはしめじ(一般に販売されているぶなしめじではなく、本しめじのこと)であることを指しています。

 古くは弥生時代から食されていた松茸を、平安時代の貴族は山で狩り、そのまま焼いて楽しみ、和歌にも詠みました。反して江戸の町ではほとんど松茸が獲れなかったため、もっぱら形を揶揄して、バレ句(卑猥な川柳)に詠まれていました。

 日本人が愛してやまない松茸の香りですが、松茸を珍重しているのは日本人だけで、特に西洋人にとっては、「濡れた靴下の臭い」と大不評です。松茸の香りの成分は、マツタケオールとメチルシンナメートです。マツタケオールは、醤油や味噌などの大豆加工品にも含まれているので、日本人にとってはDNAに組み込まれた良い香りの象徴なのかも知れません。

 近年では年を追うごとに、松茸の輸入国が増えています。中でも、韓国、メキシコ、ブータン産などは国産松茸にとても近いので、高嶺の花と諦めずに、さまざまな松茸料理を楽しまれてはいかがでしょう。

『烏賊飯』(『素人庖丁』より)

 日本の烏賊の消費量は、なんと世界の1/3以上。目玉以外は全て食べられる烏賊は、古来からさまざまな調理法で楽しまれてきました。

    烏賊、出汁、海苔、葱、生姜

    烏賊、出汁、海苔、葱、生姜

■材料(一人前)
・烏賊(刺身用)…50g
・温かいご飯…1杯分
・出汁…1カップ
・塩…少々
・醤油…小さじ1/2
・海苔…適量
・葱…適量
・生姜…1欠け

■作り方
1)烏賊はイカそうめん風に細切りにし、海苔はちぎり、生姜はすりおろしておく。葱はお好みのサイズで。

2)温かいご飯に海苔と烏賊を乗せ、塩と醤油を加えて温めた出汁を烏賊の上からかけて、おろし生姜、葱を乗せていただく。

    『烏賊飯』

    『烏賊飯』

 江戸時代初期に刊行された『料理物語』の烏賊の欄には、「うのはな。なます。さしみ。なまび。かまぼこ。に物。青あへ。其他いろいろ。同小いか。すいもの。同するめ。水あへ。色々」と、多彩な調理法が書いてあります。

 中でもするめの歴史は古く、平安時代中期に編纂された『延喜式』という朝廷の運営方法を記した本に、鮑・鮭・烏賊が諸国より献上された、とあります。この三品は、どれも干物を指しており、ここで言う烏賊はするめのことです。烏賊の干物がするめと呼ばれるようになったのは、室町時代中期頃からのことで、墨群(すみむれ)が短縮されたのだろうと言われています。

 ちなみに、するめを「あたりめ」と呼ぶのは、江戸時代の博打場で出目を狙う際、するめは 「掏る目」に通じて縁起が悪いため、「当たり目」と呼び変えたからで、現在も噺家など、縁起をかつぐ仕事に就いていらっしゃる方は、「あたりめ」と呼ぶのが習わしです。

 生の烏賊も食材として人気で、江戸の町の屋台では、「烏賊焼き」や「烏賊の天麩羅」が売られ、焼いて山椒の若葉と醤油で和えた「焼き烏賊の木の芽和え」は、江戸っ子好みで、江戸っ子好みの定番メニューでもありました。

『さつま芋茶粥』(『名飯部類』より)

 江戸の飢饉を救った薩摩芋。芋粥は、戦中戦後の米不足の際にも活躍しました。茶粥に芋を入れると、ちょっとした御馳走に見えるから不思議です。

    薩摩芋、ほうじ茶

    薩摩芋、ほうじ茶

■材料(三人前)
・薩摩芋…1本
・米…1合
・水…500ml
・ほうじ茶…大さじ5
・塩…小さじ1/2

■作り方
1) 薩摩芋は皮をむき、食べやすい大きさに切り、水にさらす。

2)鍋に水と、パックに入れたほうじ茶を入れて強火にかけ、煮立ったら鍋をかき混ぜながら、少しずつ米を加える。米がくっつかないように、時々混ぜる。

3)沸騰したら中弱火にして10分炊き、ほうじ茶のパックを取り出し、薩摩芋と塩を入れ、お好みの固さになるまで弱火で20〜30分程度煮る。

    『さつま芋茶粥』

    『さつま芋茶粥』

 慶長2年(1597)年、中国に漂流した宮古島の役人が帰島する際、中国から苗を持ち帰ったのが、我が国での薩摩芋栽培の始まりとされています。
 
 薩摩藩(鹿児島県)での栽培が盛んになる前は、薩摩芋は唐芋(からいも・とういも)、甘藷(かんしょ)、琉球藷(りゅうきゅういも)などと呼ばれていました。

 痩せた土地でも育つ薩摩芋を、関東でも育てるよう指示したのは、八代将軍・徳川吉宗です。度重なる飢饉に悩んでいた吉宗は、懐刀である大岡越前から儒学・蘭学者の青木昆陽を紹介され、試作の責任者に命じます。

 享保20年(1735年)、昆陽は小石川植物園、幕張、九十九里浜などで薩摩芋の栽培に成功し、育て方をまとめた『蕃藷考(ばんしょこう)』が刊行されました。さらに十年後には、薩摩芋の調理法や保存法も加筆した改訂版『甘藷之記(かんしょのき)』が発布され、昆陽は「甘藷先生」として名を馳せました。

 江戸末期には、冬になると屋台だけでなく、長屋の入り口の番屋で焼き芋が売られるようになり、広く庶民のおやつとして普及しました。

車浮代の「江戸の変わり飯」レシピ

この記事を作った人

取材・文/車浮代

時代小説家/江戸料理・文化研究家。著書に『江戸の食卓に学ぶ』『江戸おかず12ヵ月のレシピ』『今すぐつくれる江戸小鉢レシピ』、ベストセラーとなった『春画入門』『蔦重の教え』など多数。TV・ラジオ、講演等で活躍中。国際浮世絵学会会員。http://kurumaukiyo.com

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