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更新日:2018.03.16デート・会食 旅グルメ 連載

甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」Vol.4/【ローストビーフの鎌倉山本店】洋食

春らしい日も増えてきて、いよいよ桜の開花の声も聞こえてきそうですね。鎌倉に暮らす作家・甘糟りり子さんが地元のおすすめレストランを紹介する連載、第4回目は鎌倉でも有数の桜のスポットにある名店の登場です。甘糟さんにとってもたくさんの思い出がある特別なレストラン。鎌倉山に佇む邸宅で47年続くローストビーフをメインとしたメニューは今でも変わらず地元の人に愛され続けています。

ローストビーフの鎌倉山本店

春になると訪ねたくなる、家族との記憶が置いてある場所

 肩の力の抜けたいい店がたくさんある鎌倉界隈ですが、何かの節目に訪れたい「よそ行き」の店はそう多くありません。ローストビーフ鎌倉山は貴重な一軒です。

 この店の物語は門をくぐる前から始まっています。門の手前には大きな桜の木がそびえていて、その横に看板があります。門をくぐって玄関まで、背の高い杉林の横を歩く長いアプローチは贅沢なイントロ。鎌倉の山側を丸ごと見下ろす景色をゆっくりと楽しみます。高いビルがなく空が広くて、風通しのいい街です。

 創業は1971年。吉田茂の私設秘書だったというオーナーがどなたかの別荘だったというお屋敷を改築して始めました。イメージは吉田茂の別邸だそう。資料映像などで見かける晩年に暮らした大磯の邸宅だとか。建物は戦前のもので古い木造なのですが、手入れが行き届いており、今でも風格があります。初めて訪れた人でも古い時間を共有できる、といったらいいでしょうか。

 店内に入ると、部屋の真ん中にあるソファに案内されます。ウエイティング用に大きなソファが二つ、用意されているのです。窓の向こうには広い庭が広がっています。食事の前にシャンパーニュを味わいながら、この庭を眺めるのは楽しい。季節によりますが、ランチの後コーヒーを庭でいただくのも気持ちがいいでしょう。控えめにライトアップされた夜の庭は妖艶でなにか気配のようなものがあって、ほかにはない表情があります。

 テーブルとテーブルの間が広く、余裕を持った配置です。テーブルの天板は金沢に特注したという象嵌で、それぞれに桜だったり紅葉だったり植物の模様が埋め込まれています。

 ローストビーフはワゴンに乗って塊のまま運ばれてきて、シェフが目の前で切り分けてくれます。専用の長い包丁が入り、ルビー色に輝く肉片がはがれるその瞬間、想像力と舌が直結して、口の中にこれから食べる肉の味わいが広がります。よくある食レポのような言葉を使いたくはないですが、肉が口の中で本当に「溶ける」のです。よけいな旨味がないからおいしい。存分に肉と肉汁の味わいだけを堪能できます。

 使われているのはA5もしくはA4ランクの黒毛和牛で、銘柄や産地は特に決まっていません。全国各地でその時一番いい状態の肉を仕入れるそうです。

 ソースは二種類。グレービーソースと和風ソース。グレイビーは濾してあるのでさらさら。和風はしょう油をコンソメで割ったもの。どちらも選び難いので、私は交互につけて、最後は和風で〆ます。ホースラディシュッはたっぷりつける。遠慮なく追加します。

 ローストビーフのすばらしさばかりが話題になりますが、海の幸を使ったオードブルの盛り合わせも魅力があります。魚介に合わせカクテルソースが付いてくる。ケチャップやウスターソースを混ぜ合わせる赤いソースは、最近はあまり口にする機会がないので楽しみにしています。21,000円のコースでは自家製のキャビアが供されます。玄関を入ったところにこじんまりした水槽があって、展示用に小さな鮫が飼われています。

 デザートはチーズケーキやザッハトルテ、フルーツのコンポートなど7〜8種類がワゴンに乗ってやってきます。中でもここの宮崎マンゴーがおいしくて、人の分まで食べたことがありました。

 部屋の中央には田村能里子の大きな絵が飾られています。なんでも銀座店のお客様なのだとか。鎌倉在住だった平山郁夫の絵もあります。個室には棟方志功の版画。彼が晩年を過ごした鎌倉山のアトリエは2010年まで棟方版画美術館として開放されていました。

 ちなみに、小学生以下のお子様は入れません。個室のみの受付です。ビーチサンダルや短パン、スウェットもNG。大人が「気合を入れて」「くつろぎに」くる空間なのです。

 ワインは赤白すべてブルゴーニュのルイ・ラトュール社のもの。吉田茂が好んだそうです。亡くなった父が「ジュベル・シャンベルタン」という赤ワインを好きになったきっかけはこちら。五月の終わりの父の誕生日はここでお祝いをしていました。いつも入って左側のテーブルでした。その時期は夜の食事のスタートが夕暮れ時で、空が紺色に染まっていくのをながめながら乾杯したのがなつかしい。今でもこのテーブルに来ると、赤ワインをおいしそうに味わう父の姿が思い浮かびます。

 弟の結婚披露宴はこちらの別館でした。伯母が句集を出した時には親戚で個室に集まってお祝いをしました。父の三回忌もここ。書いているときりがないくらい、家族の記憶がたくさん置いてある場所です。

 鎌倉山は桜の名所。大通りはソメイヨシがアーチ状に連なります。伯母の句には桜を詠んだものがたくさんあるのですが、中でも私が好きなのがこの句。

 あれもこれも みんなさくらの せいにして しづ子

【ローストビーフの鎌倉山本店】

  • 住所:神奈川県鎌倉市鎌倉山3丁目11-1
    電話: 0467-31-5454(要予約)
    営業:11:30~15:00(LO)、17:00~20:00(LO)
    定休:年末年始
    平均予算:ランチコース6,500円~ ディナーコース11,000円~
    個室料金有

著者プロフィール

  • 甘糟りり子
    作家。1964年横浜生まれ。3歳から鎌倉在住。都市に生きる男女と彼らを取り巻くファッションやレストラン、クルマなどの先端文化をリアルに写した小説やコラムに定評がある。近著の『産む、産まない、産めない』(講談社)は5刷に。そのほか『産まなくても、産めなくても』(講談社)など現代の女性が直面する岐路についての本も好評発売中。読書会「ヨモウカフェ」主宰。

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