政情不安とコロナの二重苦と戦う、香港レストランの取り組みとは
日本もいよいよ緊急事態宣言を解除し”新しい生活様式”に一歩踏み出そうとしている。今回は、日本よりも半歩先をいく香港の飲食業界にフォーカス。現在、香港のガストロノミー界では政情不安も重なった二重の難局にある中、顧客に食体験の喜びを提供しつつ、売り上げにも貢献する多彩なアイデアが生み出されている。香港が歩んできた道筋を辿りつつ、たくましく生き抜くレストランの試みをご紹介したい。
過疎化する都心のファインダイニング
人口約745万人(2018年)の香港には、観光都市として年間約6514万人(2018年)もの外国人が訪れ、食いしん坊な地元民とともに、1万5000軒以上のレストランの経営を支えてきた。
飲食業界の難局は昨年夏に始まった。警察とデモ隊の衝突が激化すると、まず観光客が消え、交通網の麻痺も始まって、地元の人も平日の夜や週末に、都心に出て外食をすることがなくなった。「こんな時に贅沢する気にならない」という気分も蔓延。ファインダイニングには絶体絶命の日々が始まった。とはいえ、戦場のように荒れた大通りから一本隣の通りでは、何事もないように家族連れがヌードルを食べているというギャップも、多様性ある香港の象徴的な光景だった。
2019年12月に民主派が地区選挙で圧勝して穏やかさが少し戻り、年が明けには「そろそろ通常運転に戻れるのでは」と楽観ムードも出てきたときに始まったのが、コロナ感染だった。
当初は平和だったデモも、次第に激化していった
SARS経験からの自衛意識と外出自粛
「香港人はSARSの経験がある。政府に言われたからではなく、コロナ感染のことを耳にしただけで、マスク着用や頻繁な手の殺菌など自衛策を執り始めた」と語るのは、「アジアのベストレストラン50」2020年版では19位にランクインしたヨーロピアン・ビストロ【ネイバーフッド】オーナーシェフのデビッド・レイ氏。政府の行動も迅速で、1月末には全学校が休校になり、つい先日まで4ヶ月間も続いた。公民ともに在宅勤務がただちに導入され、都心のランチ激戦区がガラガラに。
2月初めに「親戚一同で火鍋」「披露宴」などがクラスターになったことから、「外食、特に大人数の集まりは危険」という意識が高まり、公的なロックダウンはないまま、街から人が消えた。多くのレストランオーナーが「2月と3月がドン底だった」と語っているように、この時点で、香港では2019年夏からすでに1000軒以上の飲食店が閉店。この頃は「以前は予約3ヶ月待ちだったあの店に行ったら、客が自分たちだけだった」というようなホラー体験の話題をよく耳にした。
3月になって感染者ゼロの日が続いたものの、欧米からの帰国者が訪れた飲食店がクラスターになったことから、3月末にはレストランに「入店時検温」「1卓4人まで」「テーブル間隔1.5m以上」「定員半数まで入場可」という規制が発令された。
政府からの支援としては、飲食店向けの補助金20万香港ドル(約290万円)と、これから年末まで続く従業員一人につき月給半額(月額9000香港ドル、約13万円上限)保証という制度がある。前述のデビッド氏は「うちのように小さくて地元の常連がメインの店では比較的被害が少なく、この支援も非常に助かるが、規模の大きいレストラングループなどでは焼け石に水だと思う」と述べる。
確かに、家賃が世界一高い香港では、一等地であれば月1000万円の家賃も珍しくない。無期限休業中の高級フレンチも多数ある中で、レイ氏が面白い現象を話してくれた。
「輸入食材の流通が滞りがちだけど、高級店休業の影響で、うちにも思わぬ稀少な高級食材が入ってくるんだよ」とレイ氏が見せてくれたのは、ドイツ産で旬真っ盛りだったホワイトアスパラガス。一般の買い物客が来る魚市場にも、びっくりするような質のいい魚が入っているのだとか。
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左/店が休業しても食材は届く。ある日のレイ氏のインスタグラムから。右/【ネイバーフッド】デビッド・レイシェフ
香港の飲食業界がどん底にあった3月28日に、香港の飲食トレンドの牽引役として25軒のレストランを経営する【ブラックシープ・レストラン】が「Covid-19 Playbook」と題して、コロナ禍にある飲食店向けのノウハウを集めたガイドブックを発表した。
「1000人の従業員を誰も解雇せずに、ぎりぎりのキャッシュフローで営業を続けていた。遅れて感染拡大が始まった他国の飲食関係者から『どうやってこの状況をしのいでいるのか』という問い合わせが相次いだことから、これを作ってみることにしたんだ」と、グループ共同創業者のアシム・フセイン氏。
【ブラックシープ・レストラン】が発表した「COVID-19 PLAYBOOK」。日本語版は大橋氏のnote(https://note.com/tirpse/n/nf1f2e234d006)か、【ブラックシープ】のホームページからダウンロード可能
発表後、予想を超える反響があった。「ホテルやファッションなど飲食以外のあらゆる業界からも感謝の声が届いた。コロナに立ち向かうための普遍的なヒューマニティーのあり方を、このガイドで示したと受け止めてもらえた」。
惜しまれながら閉店した白金台の【TIRPSE】を、2019年末に香港で開業したフード・キュレーターの大橋直誉氏は、この日本語版を発表。「香港店でのデモやコロナへの対応の大変さを日本にいて感じていたので、このガイドラインが非常に役に立った。コロナ感染者を出した場合の対応サンプルなど、日本では触れられないような項目が多数含まれている。これは共有しなければと強く感じた」と大橋氏。ぜひ参考にしてほしい。
スーシェフのジャッカル・チュンさん。【ダロワイヨ香港】中環店にて
4月に入り新規感染者ゼロの日が再び続くと、1卓の最大人数が8人に緩和。「母の日」直前だったため、「家族の最高権力者であるお母さんをきちんと祝えないのは問題だ、と政府も考えたのだろう」と何人もの香港人から耳にした。営業危機の打開策としてテイクアウト/デリバリーに取り組む店が多い中、「母の日」需要を前に、アイデアにあふれた新サービスがいくつも始まった。
伝統的なフレンチの味を堪能してもらいつつ、宴を盛り上げる話題の一品が、【ダロワイヨ香港】の「Hen in a Pouch」。フォアグラを詰め、皮にトリュフを挟んだチキンを、豚の膀胱に入れて調理してある!
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配達直前に調理済みなので、食前に20分ほどお湯にくぐらせて加熱すればいい。テーブルでやれば場が盛り上がる
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マデイラ・チキン・クリームソースやキャロットも同梱。1羽で約4人分。店内では598香港ドル(約8700円)、テイクアウトでは20%オフ
「伝説のレストラン【メール・フィルー】創業者のフランソワーズ・フィルーが創作し、後の彼女の下で修行したポール・ボキューズが有名にした料理です。香港でのアレンジとして、地元で愛されている三黄鶏を使っています」と、スーシェフのジャッカル・チュン氏。母の日には30件以上のオーダーが入ったという。
自宅でもマダム気分のアフタヌーンティー
元英国領らしくアフタヌーンティーが文化として存在する香港。近年はファッションブランドとのコラボレーションが盛んで、本場英国を遙かにしのぐ華やかさを誇っている。アイドルタイムに収益を稼ぐ手段でもあり、手頃にファインダイニングならではの味とサービスを体験できるので若いエントリー層を取り込む役割を果たしている。
最高級ホテル【フォーシーズンズ香港】のアフタヌーンティーはマダムに大人気。毎日予約を2回転させても常に満席で、予約至難なことで有名だ。
「3月に外出自粛が続く中、スイーツなどのオンライン販売を始めたところ大変好評だった。『母の日』に向けて、アフタヌーンティーを自宅でも食べてもらいたいと考え抜いた」とエグゼクティブ・ペストリーシェフのリンゴ・チャン氏。
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セイボリー4種類、スイーツ4種類でティーバッグ2つ付き。ケースにはサステナブルなリサイクル素材を使用。2人分628香港ドル(約9100円、配達料別)
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キュートなスイーツを生み出す、リンゴ・チャン氏
中でも苦心したのが、三段トレーを模した優雅で丈夫なオリジナルケースの開発と、配達時間を入れても味が落ちず、揺れにも強いメニュー構成。
共に顧客からの反響が高く、母の日後も販売継続中。高額商品ながら、ファインダイニングならではの食体験の楽しさを自宅でも再現しようという意欲が形になった、テイクアウト/デリバリーの成功例といえるだろう。
残念ながら、コロナの収束が見えて客足も戻り始めたところで、中国本土との政治問題が再び噴出し、先行きは楽観できないのが香港の現状だ。前述のフセイン氏も「今は70~80%まで収益が戻ったが、今までのマイナスを補うところまでは来ていない」と語る。困難の中でも、努力を惜しまない飲食業界関係者の心意気を応援していきたい。
取材・文/甲斐美也子
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