香りで味わう日本料理の真髄【赤坂 おぎ乃】|ニュースな新店
心地良い人のさざめき、料理をするときに立ち上る香り。それはレストランで味わうもう一つのご馳走だ。日本料理が生み出す”香り”を大切にし、繊細かつ豪快な料理で楽しませる【赤坂 おぎ乃】はそうした料理屋の魅力を感じさせてくれる注目の新店。緊急事態宣言直前にオープンしたにも関わらず、瞬く間に人気になった気鋭の日本料理店を紹介しよう。
未曾有のパンデミックとなった新型コロナウイルス。
その緊急事態宣言直前に産声をあげたのが、ここ【赤坂おぎ乃】だ。オープンは3月10日。まさに世の中が不穏な空気に包まれ始めたさなかのスタートにもかかわらず、店は開店当初から満員御礼の賑わいぶり。4月〜5月の休業要請期間は、さすがにキャンセルが多かったものの、鰻弁当や穴子と牛蒡の炊き込みご飯などのテイクアウトで急場を凌いだ。それどころか、お弁当を気に入って新規に来店の予約を入れる客も相い次いだそうだから、実力のほどは推して知るべしだろう。そして、7月末現在。オープンしてまだ半年足らずにも関わらず、既に9月いっぱいは予約で満席の人気ぶり! そのブレイクの秘密はいったいどこにあるのだろうか?
父君、片岡鶴太郎画伯の絵画が壁を飾る店内。厨房を見渡せる。
ご主人の荻野聡士さんは弱冠33歳。しかし、その経歴は堂々たるものだ。高校を卒業と同時に、父親のつてで京都和食の名門【嵐山吉兆】に。「実を言えば、最初は鮨職人になりたかったんです。でも父から、まずは日本料理の基礎をしっかり学べと諭されました。鮨職人になるのはそれからでも遅くないと。結果、修業を積んでいくうちに日本料理の持つ食文化の豊かさに惹かれていきました」。
というわけで、【嵐山吉兆】では8年間みっちりと基礎を積み、26歳で帰京。今度は、ミシュランの星を持つ銀座【小十】の門戸を叩いた。カウンター仕事を覚えたいと幾つかの和食店を食べ歩いた中で、彼のアンテナに引っかかったのが【小十】のご主人、奥田透さんの料理だった。ダイナミックさと繊細さ兼ね備えた盛り付けの妙、素材にとことんこだわる真摯な姿勢等々。そのいずれもが、荻野さんにとっては新鮮かつ魅力的だったのだろう。自分自身が共鳴して選んだ店だけに、奥田さんから受けた影響は計り知れないと語る。この【小十】で5年、姉妹店の【奥田】では料理長を任され2年間その大役を果たした。そして、15年間の修業に区切りをつけ、満を辞しての独立を迎えた。
ご主人の荻野聡士さん。33歳。小さい頃から食べることが好きだったそうで、今も食べ歩きを欠かさない。
「大変な時期にオープンしましたね、とよく言われますよ。確かに緊急事態宣言下では先行きの見えない不安もありました。それで、お弁当なども始めたのですが、修業時代はおざなりにしがちだった仕出しの仕事の大切さを改めて考えさせられたり、衛生面にもより気を使うようになりました。いろいろな意味で勉強になることが多かったですね。顧客も増えましたし(笑)」
今、思えば、コロナによる危機感が、自分の料理と修業してきたことを、今一度見直すいい機会になったと思います」と明るく語る荻野さん。この謙虚でポジティブな姿勢こそ客を惹きつける理由の一つかもしれない。そして、その料理もまた、実に躍動感に溢れている。
『オコゼの煮物椀』。軽やかなお椀は和紙に漆を施したもの。手に持つと実に軽やか。馥郁とした香りが漂う。おまかせコースは23,000円〜。
「コンセプトは香りです」。
キッパリと語るその言葉通り、まず、お椀の香りが素晴らしい。蓋を開けた瞬間、立ち昇る芳香。僅かに酸味を帯びた鰹の風味が鼻をくすぐり、柔らかな昆布の香味が食指を動かす。香りに誘われるようにして一口啜れば、まろやかな旨味が舌を潤していく。鰹のコクを感じさせつつも雑味はなく、上質な昆布ならではのふくよかでクリアな味わいが味蕾に優しい余韻を残す。
心がほどけていくような美味しさは、そのまま荻野さんの人となりに通じる。「出汁は和食の要。そして香りが命。ですから鰹節は、いつもお客様にお椀をお出しする直前に削って出汁をとるようにしています」。
削りたてのふわふわの鰹節。血合いの部分は取り除いてあり、まるでオーガンジーのよう。
当然、鰹節にも一家言を持つ。本枯節を使うのは言わずもがなだが、懇意にしているのは意外にも千葉県の生産者。そこでは、枕崎であがった、身に締まりのある鰹を選んで作っているそうで、しっかりとカビつけし乾燥させた鰹節は、薫香も強め。密度の詰まった断面は綺麗に赤身がかっている。高品質な鰹節の証拠だろう。
昆布への深慮も欠かさない。暑い時期にはすっきりとした北海道利尻昆布を、寒い時期にはまったりと旨味の濃い真昆布を用いるなど昆布も季節によって使い分ける気の配りよう。取り方も慎重だ。昆布を一時間半ほど水に浸した後、65度〜67度で一時間半温め、昆布を取り出し沸騰させる。そこで火を止め、90度まで温度を下げたところで鰹節を投入。そのまま自然に鰹節が沈むのを待って漉すのが荻野流だ。さらに出汁専用の水も用意。まろやかな宮崎の温泉水を使うなど細部にわたる細やかな配慮が、淡麗な味を引き出している。
モダンなガラスの器に盛り付けられた『毛蟹とうにのずんだ素麺』。北海道は噴火湾の毛蟹と同じく北海道の馬糞うに。
「お腹いっぱいになってお帰りになって欲しいので、全体的に量は多いと思います」の言葉に違わず、コースでは、先付けから最後の水果子までざっと九品がラインナップ。しも、“造里”だけでも3種ほどが、仕立てを変えて登場。
ご飯ものも2種類用意と確かにボリュームたっぷりだ。旬の食材と日本の行事食にスポットを当てて紡ぎ出す料理は、盛り付けも華やかにしてアグレッシブ。例えば、『毛蟹とうにのずんだ素麺』。七夕をテーマにした7月コースの先付で、天の川をイメージした素麺はすり潰した枝豆で和え、旬の毛蟹とうにがこれでもかと言わんばかりにトッピングされた迫力ある一皿だ。最初にインパクトを与えて、客の心をぐっと引き込む手腕は心憎いばかり。続けて、出来立ての出汁の香りが店内に満ちる中、件のお椀を味わえば、もう完全に【赤坂おぎ乃】の世界に引き込まれてしまうこと必至だろう。意匠を凝らした器と料理が織りなすマリアージュも、また一役かっている。
鰻は愛知産などの養殖物をはじめ季節には天然物のも。鰻は形を変えてコースのどこかに通年登場。8月は白焼きの予定。
一方、出汁と同じく気を使っているのは“焼き”の仕事。「焼き方一つで、同じ魚でも出来上がりがまったく変わってしまいます。なので魚を焼いている最中は、いっときも目が離せません」との言葉通り、鰻を焼く際も焼き台につきっきり。タレにつけては適度に返しつつ、場所を時折ずらしながら香ばしく焼き上げていく。熱源はもちろん炭火。紀州の備長炭だ。
「慣れれば、ガスより炭火の方が火力の調整はしやすい」とは頼もしい一言。“魚が持つ脂で魚自身を焼く要領で焼く”のが、【小十】相伝の手法とか。皮目はパリっと身はふっくら焼き上げられた鰻の蒲焼は、炭火を上手に操ればこその出来栄え。修業の成果を物語る。
「33歳の今だからこそできる料理を出していきたい」。控えめに、しかし、力強く自らに言い聞かせるように語る荻野さん。その挑戦はまだ始まったばかりだ。
『鰻の山椒焼き』。器は、荻野さんが好きな作家、愛知の山口真人さんの織部。鰻の下には、揚げたジャガイモまんじゅうを偲ばせてある。
撮影/今清水隆宏 取材・文/森脇慶子
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