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江戸の匂いを感じながら一杯 ~根岸【鍵屋】/お江戸グルマンディーズ 二話

普段気軽に行く居酒屋は魚介の新鮮を打ち出すもよし、安さを謳い文句にするもあり、突飛なところではくノ一の格好で釣る店なんて風変りなのもある。今回はその中で、老舗と云われる名店を継続させる条件とはなんぞやというお話し。

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お江戸グルマンディーズを書くにあたり

 老舗とは、江戸から東京へと続いてきた市井の暮らしの延長にある美意識の粋であり、客に尽くす礼を重んずる達引を残す店をいうのではないか。時代が変われど、ひたすら純粋に、それを体現するのが老舗の暖簾であり、一つ事を貫き通す所作である。
 
 お江戸グルマンディーズ(※)では、急速に失われつつある町の景観や佇まいと、そうした掛け替えのない老舗の味覚と矜持を追い続けていく。

 ※ グルマンディーズとは、仏語で大食漢の食道楽、食いしん坊、ご馳走などの意味。

どこか懐かしい町、根岸の里

 次々と建て替わる駅ビル開発の中、最後に残された山手線内の聖地鶯谷駅を降りると、未だに昭和風情の侘しさが残されている。ここから言問通りを歩いて渡ると、閑静な住宅地でのある、根岸の里に入ることができる。その一角に構えるのが今回のお目当て【鍵屋】だ。

    風の抜ける路地の一角に行燈が灯る

 江戸は安政3年(1856年)に酒問屋として創業した老舗で、昭和に入り角打ちから始まって店で酒も出すようになったとか。この建物は大正時代のものを模しており、かつてのものは小金井の江戸東京たてもの園に移築された。とはいえ、江戸から続く雰囲気と存在感を十分に醸している。

    根岸界隈

 根岸の里は「呉竹の根岸の里は上野の山陰にして幽趣あるが故にや。都下の遊人多くはここに隠棲す。花になく鶯、水にすむ蛙もふぜいありて世に賞愛せらる」と、江戸名所図会にある通り、文人、酔狂人がこぞって寮(別荘)を建てた土地柄。

 元は、輪王寺宮の御隠殿が建てられたことに根岸の隆盛が見られよう。飛鳥山から流るる音無川の清涼を、大火に見舞われた大店の主が着目したことも大きい。浅草界隈の喧騒から比べると鴬が鳴く閑静な土地が、江戸の旦那衆の隠棲の場としていかに愛されていたか伝わってくる。

    東京名所三十六戯撰「根岸の里」昇齋一景 筆 / 明治四年(1872年)

迷ひ出でし誰が別荘の鴛一羽 
妻よりは妾の多し門涼み
蚊の多きひまな手多き団扇かな
              子規

 正岡子規が根岸に暮らした明治の頃まで、この雅趣は保たれていたようだ。雅な墨客は、四季折々の風物を慈しんだ。

 一説に、かの都から移り住んだ輪王寺宮が、根岸の鶯は関東訛りがあると、古都からわざわざ京鶯を取り寄せた、なんていう逸話もある。嵯峨野に見立てた宮さまの心中を察すると、この土地の見え方、味わいもまた格別の思いにかられる。

    凛とした風格の店内

 紺地に染めた暖簾を潜ると、「おあがりくださーい」とよく通る女将さんの声が出迎えてくれた。一歩踏み入ると、昭和が香る看板や年季の入った燗付け器が目に入る。この佇まいこそ鍵屋の味わいの一つ。昔ながらの手書きの品書き木札、酒飲みでなくとも気になること請け合いだ。

たかが居酒屋と侮るなかれ、一品ごとの丁寧な仕事振り

    赤星ラガーとお通しの煮豆

    木札のお品書き

    名物『くりから焼き』

    綺麗に並んだ『味噌田楽』

 麦酒を頼むと、名物の煮豆が供される。柔らか過ぎず硬すぎずただ醤油で煮ただけなのに、なぜかほっこりしてしまう。これぞ料理人の丁寧な仕事がお客を喜ばすという基本の成せる業だ。
 
 まずは気になるうなぎの『くりから焼き』からいただく。甘辛いうなぎのタレは好みの分かれるところ。うなぎは江戸の頃、近くの大川(隅田川)でも採れた名産だった。川の流れに揉まれてでっぷりのった脂身。日本酒に合う濃いめの味付けを山椒が引き立てる。

 続いて、太目の葱がのった『合鴨焼き』。焼いて甘さが増した根深葱、滋味豊かな肉汁。さらに、カリッと厚みのある鳥皮、外見とは裏腹にフォアグラ風レアのレバーが並ぶともういけない。これも老舗、薬研掘名物の七味をたっぷりとかける。焼き物は火の当て方、通し方に焼き手の真心が現れるもの。こうした調理への真摯に向き合う姿勢が老舗の味わい二つ目である。

おもてなしの心意気に酔う

    惚れ惚れするような年季のお燗器

    『さらし鯨』

    『たたみいわし』

 そろそろ年代物の燗付け器を試したくなった。酒は菊正宗、櫻正宗と大関の3銘柄のみと潔い。正一合を升できっちりと測り徳利でお燗してくれる。ご主人の生真面目な仕事が好ましい。もはやここでは大吟醸云々なんて蘊蓄は野暮。迷わず菊正を頼む。

 お供は香ばしく焼いたタタミ鰯。塩っぱ加減と苦味が辛口に合うこと。田楽は関東ならではのちくわぶ、コンニャク、焼き豆腐に濃い目の甘味噌がとろり。そんじょそこらのフレンチよりこだわりを感じるビジュアルにうっとりしてしまった。

 ついで、白さが眩しいさらしクジラに、女将さん仕込み、年季のぬか漬けとくれば、しばし至福の時が過ごせる。

    とりもつ鍋

 仕上げは定番の鳥モツの鍋。醤油と地鶏の旨味を十分に吸った麩が、口の中にジュと広がると思わずニンマリ。モツには千住の薬味葱を贅沢にのせる。これぞ、ザ・居酒屋の真骨頂。
 
 老舗の居酒屋のひと時が名残惜しく、日本橋【さるや】の楊枝でシィシィとやって余韻に浸った。帰り際勘定を済ませそっと引き戸を開けると、「ありがとう存じまーす」という女将さんの柔らかい声が見送ってくれた。久しく聞かない丁寧な日本語に感心しつつ、このおもてなしの心意気こそ、まさに老舗の味わいなんだな、と深く考えさせられた夜である。
 

    気さくなご主人

 余談だが、小金井の江戸東京たてもの園を訪ねると、往時のままの建造物を見ることができる。時代を超えた佇まいにこそ、本物の老舗の味わいが隠されているのかもしれない。

 ちなみに件の鍵屋、女性だけの来店はNG。行ってみたいという淑女や女史は、身の回りにいらっしゃる粋な男性を同伴でお越しくだされ。山手線で行ける小さな旅。近所にはかの正岡子規が晩年暮らした子規庵も健在だ。

 たまにはこんな昭和レトロ気分にトリップしてみるのも一興ってこってす。

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この記事を作った人

金子 哲也 (ヒトサラ副編集長 )

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