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更新日:2020.05.30グルメラボ

小寺慶子さんに聞く「いまこそ行きたい名店」|新宿【鳥茂】

外出自粛が段階的に緩和されている中、営業を再開する飲食店が増えてきました。今回ご紹介するのは、新宿の焼きとんの名店【鳥茂】。「食べることを糧に生きている」と本人が言い切るほどの食好きフードライターの小寺慶子さんに、自粛明けにまず食べに行きたいという【鳥茂】について語ってもらいました。

鳥茂のやきとん

“世界から鳥茂が消えたなら──”

いつかのベストセラーのタイトルではないが、私はもちろん多くの【鳥茂】ファンにとって、それは大袈裟ではなく死活問題になる。

今年で創業70年。10年続く店はほんの数パーセントにも満たないと言われる東京で、これほどの快挙を成し遂げている店は数少ない。現在、三代目の酒巻祐史さんが暖簾を守る新宿【鳥茂】は、日本で一番予約が取れない焼きとんの店だ。

    新宿駅から徒歩3分ほどのところにある、焼きとんの名店【鳥茂】

    新宿駅から徒歩3分ほどのところにある、焼きとんの名店【鳥茂】

終戦後、闇市の屋台でスタートした店はいまでは30名以上の従業員を抱える大所帯に。繁忙期でなくても80ある席が3回転するのは当たり前。営業中は新宿中のエネルギーが集結したかと思うほどの活気に包まれるこの店もまた、コロナの緊急事態宣言に伴う自粛要請で1か月半以上持ち帰り中心の営業スタイルにシフトせざるを得なかった。

    4月から店外でテイクアウトのお弁当を販売。現在は席数を減らしての店内営業も再開し、17時~営業中、要予約

    4月から店外でテイクアウトのお弁当を販売。現在は席数を減らしての店内営業も再開し、17時~営業中、要予約

リピーターや常連客が6割を超える【鳥茂】の絶大な人気の理由はもつの突き抜けた美味しさはもちろん、その熱量の高さだ。開店直後から次々と訪れる予約客を威勢のいい「いらっしゃいませ!」で出迎え、焼き場に立つ酒巻さんはもちろん、スタッフ全員が一切手を休めることなく、自分の仕事に集中している。

料理人に限らず「最近の若い子はちょっと怒るとやめちゃうから」というのはよく聞く話だが、ここでは酒巻さんの怒号が飛び交うこともしばしば。それは、常連客にとっての“日常風景”で、信頼のもとに成り立つ師弟関係に、清々しささえ感じられる。

    店頭に立つ、店主の酒巻祐史さん

    店頭に立つ、店主の酒巻祐史さん

いまでこそ飛ぶ鳥を落とす勢いの【鳥茂】だが、ここまで来るのは決して平坦な道のりではなかった。酒巻さんが店を引き継いだ当時は、お客さんがまったく来ず、閑古鳥がなくこともしょっちゅうだった。

「毎日、いまできることはなんだろうと考えて細かいことでもすぐに実践してきたんです。いいと思ったらとにかくすぐ実行に移す。それを積み重ねてきただけ。先代が作りあげてきたものを一緒に守ってきてくれたお客さんには本当に感謝しています」と酒巻さんは言うが、信念を曲げることなく改革を続けるのは並大抵のことではない。

豪気でひたむきで繊細な酒巻さんの魅力を知れば知るほど、“日本一”と言われる串の味を味わえば味わうほど、この店の虜になる。

    創業当時から受け継がられるメニューのひとつ『ピーマンの肉詰め』

    創業当時から受け継がられるメニューのひとつ『ピーマンの肉詰め』

戦前、麻布十番で洋食店を営んでいた初代がハンバーグにヒントを得て考案したという『ピーマンの肉詰め』も、とろけるような舌触りの『シロ』も、思わず目を見張るほど官能的な風味の『レバー』も、牛と豚、鶏の3種の挽肉に玉ねぎとにんにくを加えたパンチのある『つくね』も一度食べたらすぐ舌の上に味の記憶がよみがえってくるほどインパクトがあるが、熱気と活気、酒巻さんやお店のスタッフの快活さ、箸ではなく串で料理を食べるスタイルも全部含めてこの店の“味”なのだ。

    表面を炙り塩のみで味付けした『レバー』

    表面を炙り塩のみで味付けした『レバー』

いつだったか閉店近い時間にカウンターで食事をしていると、仕事を終えた若い従業員が次々と酒巻さんのもとにノートを持ってやってくる。

「もともと体育会系の男所帯ですから、お店に入りたての女性スタッフはとくにいいたいことが言いづらかったり、こんなことを改善したほうがいいという気付きがあったりするでしょう。仕事が終わって帰る前にそれをノートに書いて見せてもらうようにしているんです。仕込みの時間や営業中は、どうしてもバタバタしてしまうから、せめてこういう形でコミュニケーションが取れたらいいなと思って」

 ノートを確認した酒巻さんは、赤ペンでぐるりと丸をつけ「また明日」とひとりひとりに声をかける。何度もそのシーンを目撃しているが、それを見るたびに心に温かい火が灯る。どんなに仕事がハードでも、ささやかなやりとりひとつで若者が「明日も頑張ろう」と思えるんだろうな、と少し泣ける。

    炭焼きのいい香りと、中に入ったなんこつの食感が心地よい『つくね』

    炭焼きのいい香りと、中に入ったなんこつの食感が心地よい『つくね』

「あのお店に行きたい」と思うことと「あの人に会いたい」ということは私のなかでほぼ同じ意味がある。美味しい料理には絶大なパワーがあり、どんなに落ち込んでいるときでも美味しいご飯を食べると元気になれる。温度のある料理は癒しであり、自分に厳しく仕事を全うしている店主の笑顔は心を温めてくれる栄養剤だ。

いまの仕事を始める前からいち【鳥茂】ファンを公言してきた私にとって、ここは「美味しいものをいただく場所」以上の意味がある。職業柄、起きてから寝るまでの時間、ほぼ食べ物のことばかり考えているが、思い出や学びの数も含めて【鳥茂】が人生を占める割合はとても大きい。それだけに世界から【鳥茂】が消えるなんてことは、絶対にありえないのだ。

だから、お店が再開したらすぐあの“味”に会いに行きたい。威勢のいい「いらっしゃいませ」ととびきりの美味に元気をもらいに。

【鳥茂】営業情報(5月30日現在)

・営業日:月曜~土曜
・店内営業時間:17時~22時
・定休日:日曜定休、ほか不定休あり
※要予約

この記事を作った人

小寺 慶子(フードライター)

ファッション誌、レストラン誌などの編集を経て、フリーのライターに。フットワークの軽さと強靭な胃袋を武器に、国内外の“肉旅”に奔走する日々。肉を糧に生きるライターとして、さまざまな雑誌やwebで執筆中。

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