甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」Vol.14/【波と風】日本料理
一人でふらりと飲みにいくもよし、しっかりご飯を食べるのも良し。鎌倉の大仏近くにある【波と風】は気の利いた日本料理に蕎麦、さらにはカクテルをはじめとする希少なお酒も楽しめる、ちょっと面白い店。どんなシーンでも受け止めてくれるのに、出されるものはきっちりと上質。本物志向の大人が集う隠れ家の登場です。
日本料理とカクテル、夫と妻。阿吽の呼吸がつくる心地よい店
いろいろな流行があっても、絶対に廃れないアイテムがありますよね。たとえば、リトル・ブラックドレス。装飾のない膝丈の黒いワンピースです。シンプルだからこそ、選びや着こなし方にその人のセンスや嗜好が現れる。もっというと、その時々の心の中身が見え隠れすると思います。私は最近気に入っている黒いケープ・ドレスを着る時、アクサセリーはネックレスかバングルのどちらかだけ、バッグはなるべくミニマルに、靴も黒、髪型は盛らないようにしています。
お酒を担当する柴山波瑠奈さん。カクテルをつくる姿も美しい
長谷でおいしいジン・トニックを飲みました。すがすがしくて、お酒の甘さも苦さもあって、その両方が溶け合っていて。こんなふうに洋服を着こなしたいなあと思いました。
レシピをたずねると、ジンはゴードンとno.3ロンドン・ドライ・ジンを使い、それにオレンジビターズを一滴とのこと。no.3ロンドン・ドライ・ジンは、ロンドンのワイン商ベリー・ブラザース・ラット社が造るプレミアムジンです。銘柄の名前の由来はオフィスの住所で、セントジェームス通り三番地にあるそう。
【波と風】はバーではなく日本料理店ですが、腕のいいバーテンダーがいて、いいお酒が揃っています。ショートカットのかっこいい女性で、かつては銀座の名店【モンドバー】で腕をふるっていました。ジン・トニックは彼女がもっとも得意とするカクテルです。
夫の柴山風さん。オーダーメイドした電動挽き臼でその日に使う分の蕎麦粉を挽き、予約の人数分だけ蕎麦を打つ。
このお店、ご夫婦で営まれていて、ご主人がお料理、奥様がサーブとお酒を担当されています。ご主人は割烹【銀座 矢部】のご出身。お二人は茅ヶ崎で出会って、知り合ってから、お互い銀座で働いていることがわかったそうです。開業は2014年の11月。出来たばかりの頃、矢部の常連の方に「鎌倉にいいお店ができたらしいよ」と教えてもらいました。店名を聞いた時、サーファーの方が営まれているのかと思いましたが、お二人の名前から漢字を一つずつとってつけられたのでした。妻が「波瑠奈」さん、夫が柴山「風」さん。「ふう」さんと読みます。
料理人(特に日本料理)やバーテンダーってまだまだ男性の仕事というイメージですよね。波瑠奈さんに聞いたら、女性のバーテンダーは全体の2割弱ぐらいだそうです。やっとバーが充実してきた最近の鎌倉でも、私の知る限りは彼女だけ。なーんて、女性うんぬんなどと気にならない時代に早くなって欲しいです。
蕎麦の実は、【銀座 矢部】時代でも使っていた茨城県の常陸秋と決めている。「修業時代の蕎麦に感銘を受けて蕎麦を始めたので」と柴山さん。
この日の食事は先付け、お造り、お椀、焼き物、八寸というオーソドックスな流れに鴨鍋、締めにお蕎麦というコースです。十割だそうですが、このお蕎麦が本当においしい。果物を食べているようなフレッシュな味わい、というか。もうお腹がいっぱいと思っていても、するすると入ってしまう。ついおかわりをお願いしたこともあります。お店の一角に挽き臼があり、毎朝蕎麦の実を挽くそうです。
先日は、天然のとらふぐの白子を食べました。炭火で焼いてあるのですが、外側がぱりっと香ばしくて、内側はねっとり、口に含んだ途端にとろけてきます。ただ焼いただけなんですよ。でも、やわらかい白子が崩れないよう何本も串を刺し、火加減に心を注ぎ、頃合いを見計らい、それはもうていねいな作業なんです。最近よくある前衛的かつ実験的な料理も楽しいですが、余計なことをしないでおいしいのが最高の贅沢だと実感しました。ふぐの白子がおいしい一月、二月だけのメニュー。寒いのは苦手ですが、寒いうちにまた食べたい!
6~7品あるコース(8,000円~)からの一品。『鴨の小鍋』このだしを蕎麦湯で割っても美味。
コース主体のお店ですが、単品オーダーも可能です。お酒のあてのメニューも用意されています。だし巻き卵だったり牛タンの味噌漬けだったり。飲んだ後に食べたくなる牛すじ丼や、お食事の後にもう一杯やりたい時にいいミモレットとサンタンドレなんてのもあり。カウンターの他にテーブル席も二つあるので、いろいろな使い方ができるお店です。
今度、一人で食事しに行ってみようと思っています。東京に部屋を借りている頃はしょっちゅう一人でもいろんなお店に行っておりましたが、鎌倉ではなんとなくそれがしにくくて。この街のベースには「ご近所づきあい」的な空気があるからかもしれません。でも、ここのカウンターは大人の一人ご飯が似合いそうです。
こちらのカウンターは銀杏の木。欅よりも傷がつきやすいそうで、年に何度か油で磨くそうです。使われているお箸は横須賀在住の作家によるもので、樺の木製。締めのお蕎麦が食べやすいように、この材質になったとのこと。本質は細部に宿るといいますが、このお箸はまさにそれ。
日本料理店とバーが融合したようなカウンターは思い思いのスタイルでくつろぐ客で埋まる。
さて、こちらにはものすごい隠し球もあります。イチローズモルトがずらりと七種類も揃うのです。ご存知の方も多いと思いますが、手がけているのは秩父の「ベンチャーウイスキー社」。大手の酒造メーカーではありません。その希少性も手伝い、世界中から注目されている銘柄なのです。波瑠奈さんいわく「こんなにイチローズモルトが揃うのはウチだけです」。エレガントなブレンドのものから、ツンとくる強いタイプのものまでよりどりみどりです。バーじゃないのに。
「このコレクション、まだあまりお客様に知られていないので、お好きな方には掘り出し物があるかもしれません」と波瑠奈さん
そう、バーではないのですが、私がこちらでぜひ注文していただきたいカクテルがあります。蕎麦湯のウイスキー割りです。出来たての蕎麦湯に白州を垂らして飲む。礼儀正しいグリーンの香り、まろやかな感触、これはもう上質なカクテルです。身体にも良さそうです。
このカクテルに名前はまだない、とのこと。私が勝手につけました。「波と風」でいかがでしょうか。夫が引いた蕎麦の蕎麦湯に妻がウイスキーを加えるという工程をそのまま名前にしてみました。こんなフレッシュな蕎麦湯のカクテルはバーでは飲めません。来月辺り、蕎麦とお酒が大好きな友人に声をかけようと思います。
早速、LINEしなくちゃ。
波と風
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住所:神奈川県鎌倉市長谷1-16-21 新倭人館2F
電話: 0467-95-1988
営業時間:17:30~21:00LO(火曜~金曜)、12:00~13:00LO、17:00~20:00LO(土曜・日曜)
定休日:月曜日 -
著者プロフィール
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甘糟りり子
作家。1964年横浜生まれ。3歳から鎌倉在住。都市に生きる男女と彼らを取り巻く文化をリアルに写した小説やコラムに定評がある。近著の『産む、産まない、産めない』(講談社)は5刷に。そのほか『産まなくても、産めなくても』(講談社)など現代の女性が直面する岐路についての本や、鎌倉暮らしや家族のことを綴ったエッセイ『鎌倉の家』(河出書房新社)など好評発売中
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