麻布十番【てんぷら前平】の『穴子天丼』|森脇慶子の今月の気になる「ヒトサラ」Vol.3
今月の森脇さんのおすすめは、ごはんにも天ぷら専門店ならではの工夫が施された穴子天丼。【山の上ホテル】で長年務めた前平智一さんが去年オープンし話題になった【てんぷら前平】で早くも人気の〆ご飯です。こだわりの熟成醤油で作った丼つゆに揚げたての穴子をジュッと浸したときに立ち上る香ばしい香り、そして生姜とごぼうの天ぷらを混ぜ込んだご飯の香りの多重奏がたまりません!
穴子にごぼう、寝かせた丼つゆが奏でる香りが秀逸な『穴子天丼』
マグロが、コハダと並ぶ鮨の華なら、穴子は、さしづめ才巻海老と並ぶ“天ぷらの雄”と言ったところだろうか。高級天ぷら店ではコースの掉尾を飾り、一膳飯屋的天丼店では、海老天丼の向こうを張って一枚看板を掲げられる。それだけの実力を兼ね備えた素材が、この穴子であり、まさに天ぷらにはなくてはならない食材のひとつと言えるだろう。
そんな“穴子天丼”の佳品に、先日、久々に出会った。去年の9月、麻布十番にオープンした【てんぷら前平】のそれである。「おなじみの穴子天丼とは、ちょっと違ったスタイルにしくて、一捻りしてみました」そう語るのは、笑顔の優しいご主人、前平智一さん。数多の名人を輩出している天ぷらの名門【山の上ホテル】一筋20有余年。本店料理長まで務めあげたベテランだ。
ごはんに混ぜ込むしょうがとごぼうも一緒に揚げる。揚げ油は、【山の上ホテル】伝統の配合。太白胡麻油と太香胡麻油を2対1でブレンドしている。穴子を揚げると腹のほうに身が曲がるのはさばきたての証拠。
まず、そのビジュアルが独創的だ。タワーの如くスクッと立った穴子は躍動感に満ち、肉厚の身を覆う衣は、丼ツユの洗礼を受けて黒みを帯び、威風堂々とした風格さえ感じさせる。
穴子を揚げる油のピチピチと爆ぜる音、揚げ立ての穴子を金箸で割る瞬間のザクッとした響き、そして香気……。カウンター越しに伝わってくるそれら全てが美味の仕掛け人。揚げたての芳ばしさが、目、鼻、耳等々五感を次々に刺激する。そう、このどこか食べ手に迫りくるような勢いこそが天丼の命。とりわけ“穴子天丼”には、そんなエネルギッシュさを求めてしまうのは私だけだろうか。
丼ツユは、奥出雲森田醤油の再仕込み濃口醤油とカツオ出汁に喜界島のザラメ糖。木桶で熟成させた醤油が決めてだ。
だが、この“前平流穴子天丼”、力まかせの迫力ばかりが取り柄なのでは決してない。コースの締めとして登場するだけに、見た目の迫力に対しテイストは上品。アツアツをすかさずかぶりつけば、色の濃さに反して甘さはぐっと控えめ。思いの外さっぱりとキレがいい。
さらに、むっちりとして柔らかく脂ののった穴子や、胡麻油の香りに負けぬだけの旨味のボディを兼ね備えた丼つゆが秀逸だ。聞けば、去年9月のオープン当初から、締めの天丼用に仕込んできたそうで、秘伝の味の立役者は、島根県は奥出雲の森田醤油の3年熟成の再仕込み醤油。まったりとしたコクのある醤油は、もうそれだけで十分旨い。その醤油を使った丼つゆに幾度となく天ぷらをつけることで、丼つゆ自体も次第に旨味が熟れていくわけだ。
見た目は、豪快ながら味わいは細やか。隠し味の生姜とあさつきがさっぱりとした食味を与えると同時に、穴子とごぼう、丼ツユの仲を取り持っている。
そして、忘れてならない天丼の名脇役といえば、御飯。丼ツユがかかることを考えて、やや固めに炊くのは言わずもがな、前平さんは更に一工夫。「40日間寝かせて甘みを引き出したうちのごぼうの香りと穴子の相性が良さそうな気がして」ごぼうと生姜のかき揚げを、細かく砕きながら御飯に混ぜ込んであるのだ。
もとより、穴子とごぼうの相性の良さは周知の事実。ごぼうの土の香りとサクサクした食感が加わることで、よりリズミカルな味の調和を見事に描きだしている。
店主・前平智一さんより一言
「穴子は対馬産。九州から活かしたまま運んでくるので、3日ほど寝かして、ストレスを取り除いてから使うようにしています。なるべくさばきたてを、と心がけています」
スキっとシンプルなカウンターのみの店内。揚げ鍋は【山の上ホテル】時代と同じく温度の違う二つを使い、材料によって揚げ分ける。
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森脇慶子
「dancyu」や女性誌などで活躍するフードライター。綿密な取材と豊富な経験に基づく記事は、読者のみならずシェフたちからも絶大な信頼を得ている。日々おいしいものを探求すべく新旧問わず様々な店を訪問。選者を務める「東京最高のレストラン」(ぴあ)も好評発売中。
この記事を作った人
文/森脇 慶子 撮影/岡本裕介
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