イギリス【ザ・ニュート・イン・サマセット(The Newt in Somerset)】~ヒトサラ編集長の編集後記 第59回
2023年「世界のベストホテル50」で世界のベスト・ブティックホテルに選出されたイギリスの【ザ・ニュート・イン・サマセット(The Newt in Somerset)】。広大な敷地内に広がるマナーハウス、庭園、農場、レストラン…。もはやひとつの村とでもいうべきエステートで過ごした2泊3日は、ここでしか味わえない古き良きイギリスが詰まった世界でした。
ロンドンの南西部にサマセットという州があります。有名なストーンヘンジからもう少し西で、カズオイシグロのノーベル賞作品「日の名残り」の舞台になった場所に近いあたり。そこに最近注目を集めている【ザ・ニュート・イン・サマセット(The Newt in Somerset)】というエステートがあり、ジョージアン洋式の邸宅をリノベーションした館を中心に、ひとつの美しい村のような広がりを見せています。
ホテル全体の名前になっている「newt」とはイモリのことで、昔は湿地帯で変わったイモリがいたことに因むのだとか。イギリスの田舎というと湖水地方を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、ここはどちらかというと、のどかで美しい田園地帯で日本だと軽井沢のような場所に近いのかもしれません。
南アフリカにバビロンストーレンというファームホテルがあるのですが、そこを成功させたオーナーだからこそなしえた、上質でマチュアなセンスのかたまりのような場所で、着いたときから自分が選んだ2泊3日という短い滞在時間を倍にのばしたいと思ったものです。訊けばオーナー夫人はアンティーク・コレクターで英国文学にも造詣の深い人だとか。「日の名残り」で描かれた雰囲気の好きな人にはツボだと思います。
広大な敷地は約4平方キロ、東京ドームの約87倍、そこに40の客室があります。中心となるのは17世紀に建てられたジョージアン洋式の邸宅「ハドスペン・ハウス」。そこを中心に、ファーマーズ・ハウスを改装した客室、レストラン、バーなどが広がっています。私は「ハドスペン・ハウス」内の客室に宿泊しましたが、敷地のはずれの農園にも宿泊施設はあり、「ファーマーズ・キッチン」というレストランもあって、宿泊客はそちらで食事することもできるのです。
エステートは全部完成している状態ではなく、日々、進化しながら望ましい姿にしていくようです。伝統的なイギリスの別荘のセンスのいい部分を今に蘇らせてみたらきっとこんな風になるんだろうなと思います。
昼下がりに着いたので、ここは定番の紅茶とスコーンをいただき、簡単な説明を受けました。それから庭と敷地内を簡単に案内してもらいます。これがまた素晴らしく、ヴィクトリア朝の庭から昔の日本庭園を取り入れたものまで、イギリス庭園の歴史を見ているかのようです。
庭園を抜けると広場があり、自前のサイダー工場があります。サイダーというと日本では清涼飲料水と思われがちですが、りんごを発酵させてつくるアルコール飲料でイギリスではよく飲まれています。ここでは自前のりんごを使った製造過程も見せてくれますし、試飲もでき、脇にある店で販売もしています。
店ではこの自慢のサイダーのみならず、自家製のハムやチーズなども売られていて、アイスクリームもすごくおいしい。近所から買いに来る人もいれば、宅配も行っています。
ファーマーズ・キッチンでディナー
かなり歩きましたがとても初日で全容が見られるわけもなく、部屋でシャワーを浴び身支度を整えディナーに向かうことにしました。
ディナーの場所は2か所あり、初日は私の部屋の下にある「ボタニカル・ルーム」というところかと思ったら、どうやら遠いほうの「ファーマーズ・キッチン」だそうです。
とりあえずジャケットを羽織り出かけようとしたのですが、暗くて場所がぜんぜんわからない。バギーを借りたはいいが灯の何もない農道で迷いそうになり、結局スタッフに車で送ってもらうことに。
「ファーマーズ・キッチン」は名前の通り農家風に設計された天井の高いお洒落なレストラン。暖炉があって、オープンキッチンにはピザ釜もあります。けっこう人も入って賑わっています。比較的カジュアルなメニューが並んでいたので、なるべくここでしか食べられないようなものをいくつか選んでみました。
まずはサイダーです。それとパン。サイダーは先ほどのものを出してもらいました。シャンパーニュほどのアタックはなくアルコールも低めですが、りんごの風味を感じる爽やかな味。パンは昔ながらのサワードゥですね。もちもちでおいしい。
頼んだポークの料理はいわゆる豚角煮で、皮の部分はパリパリ、中がしっとりの誰もが好きな味。それにベリー、プラムのソースがかかっていて、甘酸っぱくて食べやすく、食事が進みます。
もうひとつはホタテを頼みました。シンプルな仕立てですが、フェンネルとの相性が素晴らしく、どちらもぺろりと平らげてしまいました。野菜は基本、自家農園のもの、肉は近隣から仕入れているのだそうです。
「パスタ食べませんか?」と言われたので、頼んでみました。バジルを練り込んだ平打麺、少し苦みがあって、そこにオールド・ウィンチェスターチーズがたっぷりかかっています。このオールド・ウィンチェスターは、比較的新しいチーズですが、モダン・ブリティッシュ料理ではよく使われるもので、ゴーダの風味に甘さも感じ、パスタの苦みとよく合います。
ワインはオーナーのバビロンストーレンからカベルネ・ソーヴィニヨンを勧められるままに飲み、暖炉の前で揺れる炎を見ていたら眠くなりました。迎えに来てもらい、自分の部屋のある「ハドスペン・ハウス」まで送ってもらうのですが、真っ暗ななか相変わらず方向もつかめない。1日目はそんな感じです。
広大な敷地を散策。夜はスコッチとビートルズ
2日目の朝はゆっくり起き、少し庭を散歩してから客室の下にある「ガーデン・カフェ」という明るい光が差し込む温室のようなカフェでブランチをとりました。
「人参と生姜のジュースはいかがですか、スッキリしますよ」
そう言われたので飲んでみます。体に染みわたる感じです。新聞が数種類置かれていて、手に取り眺めます。スマホ疲れの頭にはいい刺激になります。
食事はバイキング形式になっていて好きなものをとればいいのですが、すごいのは蜂蜜です。ここでは蜂蜜もつくられており、これとバターがあれば、もうあとはいらないと思えるほど濃厚なおいしさです。半熟卵を頼み塩を振り、そこに蜂蜜たっぷりのパンをディップさせていただきました。
この日はバギーを借り、広い敷地を自分で見てまわることにしました。「ハドスペン・ハウス」の前の庭には羊たちがのんびり草を食んでいたり、牛がいたりします。庭園エリアを抜けると今度はりんご畑が広がります。水鳥が水浴びをしていたり、鹿の群れがいたりして、実にのどかです。
この場所は大昔、ローマの植民地があったところで、ローマ時代の遺跡も多く発掘されています。古の世界にタイムスリップできる仕掛けもある「ローマン・ヴィラ」といった施設もできていました。
サウナは低温ですが、ゆったりしています
お腹がいっぱいなのでランチはスキップし、簡単なサンドイッチを片手に蜂蜜を学ぶビー・サファリに参加しました。蜂の生態や蜂蜜の違いを歩きながら学び、それからスパでのんびりしました。プールがあって、低温ですがサウナも併設されています。それらはすべて旧家屋をリノベーションしたもので、風景に見事に溶け込んでいるのです。
2日目のディナーは「ボタニカル・ルーム」でとりました。こちらは私の部屋の下なので移動は楽です。落ち着いたダイニングです。今夜もこの土地の代表的なものをお願いしてみます。
『サバと鰻』がおいしそうだったので、それとサイダーをお願いしました。サイダーに慣れてくるとこのフルーティなドライ感の気持ちよさが分かります。イギリスといえばフィッシュ&チップスが有名ですが、それにはサイダーがぴったりかと思うようになります。
肉厚サバの酢漬けとスモークした鰻が出てきました。これもサイダーにすごく合いますね。
もうひとつ魚料理をいただきました。今日入ってきたというオヒョウのソテー。これも肉厚で北の国へ来た感じのする料理です。デザートはアイスとよく食べられているアーモンドケーキ。
夜は併設のバーも賑やかで、ゆったりとした空間でスコッチを飲みながら、古いビートルズをレコードで聞きました。
気が付けばもう明日でこの滞在は終わりです。早いですね。
最終日はローマン・ヴィラへ
最終日の3日目もゆっくり起き、窓から庭を眺めながらお茶を飲み、散策後に遅めの朝食です。今日はベーシックなブリティッシュでいこうと、ベーコンエッグにしてみました。
卵もベーコンも濃厚で新鮮。もっとカリカリに焼いてくれてもいいよと思いながらの、やはり魅力的な蜂蜜。これをたっぷりパンにつけていただきます。今日もランチはいらないかな、と思えるボリュームです。
昨日行けなかった「ローマン・ヴィラ」にいってみました。
周囲には葡萄畑が広がり、ローマ時代を髣髴とさせる建物があります。建物のなかは博物館のようになっていて、3Dでローマ時代にタイムスリップするような仕掛もあります。整理された庭があり、動物がいます。
このエステートは、ホテルというよりひとつの開かれたテーマパーク村とみたほうがわかりやすいような気にもなりました。滞在客のみならず外部からきた人もレストランで食事ができるし、店で買い物ができるし、会員になると1年間何度でも来れるサービスがあったりもするのです。
ちょっとしたタイムスリップ感を愉しむうちにチェックアウトの時間がきました。
さて、もう帰らなきゃ。
近くのキャッスル・キャリー駅まで送ってもらいます。ロンドンのパディントン駅までは1時間半ほど。名残惜しいですね。
帰る段になって雨が降ってきました。そういえばもっと雨が降っていい時期でしたから、ラッキーだったのかもしれません。いや、小雨の中、長靴を借りて散策するというのも本来のイギリスっぽくてよかったのかも。
古きよき時代、とは手垢のついた言い方ですが、よき時代につくられた素晴らしいものは、やはり時を越えて現代に蘇ります。問題は蘇らせる人のセンスですね。
ロンドンに向かう鈍行の窓から外をながめながら、美しい日の名残りにしばし浸ることにします。
小西克博/ヒトサラ編集長
北極から南極まで世界100カ国を旅してきた編集者、紀行作家。
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