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更新日:2022.06.01連載

<連載短編小説>#もう一度レストランで|「百円玉」中村航

恋人未満の二人をあとおしし、家族の記念日をともに祝い、おいしいお酒に友だちと笑う。レストランでのありふれた光景が、特別なものだったと気づいたこの数年。レストランは食事をするだけの場所ではなく、人と人とが交わり、人生が動く場所だった。これは、どこにでもあるレストランで起こる、そんな物語のひとつ。

もう一度レストランで,中村航,百円玉

 父と二人だけで食事なんて、いつ以来なんだろう……?
 すぐに思いだしたのは、小学生の頃のことだ。あの頃、日曜日になると毎週のように、二人で近所の喫茶店に行った。その他にはなかっただろうか、と記憶を探るのだが、何も思いだせない。
 本当に、それ以来なのかもしれないな、と思った。
 あの頃、兄と姉はもう中学生で、父のことをすっかり相手にしなかった。父が四十のときに生まれた一人だけ小さなわたしは、随分かわいがられていたのかもしれない。
 職場近くのレストラン、貧乏ゆすりをする父の向かいで、わたしは遠い記憶を見つめていた。

      ◇

 名古屋の喫茶店にはモーニングという文化がある。休日の朝は喫茶店でモーニングを食べる、というのが、名古屋で生まれ育った父の習慣だったようだ。
 日曜の朝、父はわたしの布団をはぎとり、喫茶店へと連れて行った。だからわたしは、日曜朝の人気アニメをちゃんと見たことがない。
 父はいつもブレンドコーヒーを頼み、わたしはミックスジュースを注文した。ミックスジュースのグラスは丸いだるまのような形をしており、なぜだか赤い蓋がついていた。
 赤い蓋を開けるとき、父はコーヒーを飲む手を止めて、わたしをじっと見ていた。こぼすんじゃないぞ、と念を送っていたんだと、今にしてみればわかる。
 モーニングにはゆで卵とトーストが付いていたが、わたしたちは小倉あんをトッピングして小倉トーストにして食べた。ミックスジュースも小倉トーストも大好きだったが、わたしの一番の楽しみは他にあった。
 いつだったか、テーブルの下におしぼりを落としてしまったときのことだ。おしぼりを拾うためにテーブルの下にもぐると、足元に百円玉が落ちていた。
「百円落ちてた」
 拾ったおしぼりと百円玉をわたしはテーブルの上に置いた。
「おう。もらっとけ」
 え、いいの? と思いながら、百円玉を赤いスカートのポケットに入れた。向かいの父は「中日は弱えなあ、今年もドベゴンズだなあ」などと言いながら、スポーツ新聞の文字を、目を細めて追いかけていた。
 家に帰って百円玉のことを姉に話したが、漫画を読みながらふーん、という感じで、相手にしてもらえなかった。わたしはひとりで駄菓子屋に行き、ベビーカステラと、つまようじで刺して食べるさくらんぼ味のゼリーを買って食べた。
 その翌週、父とわたしは同じ喫茶店の、同じ席についた。小倉トーストを食べ終わり、もしかして、と思ってテーブルの下を覗くと、また百円玉が落ちていた。
「お父さん、また落ちてた」
「気前のいい喫茶店だな。もらっとけ」
 嬉しくて、心が跳ねた。今度は兄にも姉にも言わず、黙ってベビースターとフエラムネを買いに行った。
 でも三回目になると、さすがに怪しく思えた。最初は偶然だったかもしれないが、百円玉は父が仕込んでいるのだろうか。
「お父さん、また落ちてた」
「そんなことあるのか。もらっとけ」
 広げたスポーツ新聞の向こうから、父が平然と言った。わたしはポケットに百円玉を押し込み、もう一度テーブルの下を覗いた。
 茶色いサンダルを片方だけ脱いだ父が、貧乏ゆすりしてるのが見えた。
 それ以降も、日曜になるたび、百円をゲットした。わたしの日曜のお楽しみは、人気のアニメでもなく、ミックスジュースでもなく、テーブルの下の百円玉だった。あるときなんて、五百円玉が落ちていた。
「お父さん、五百円だった」
「あ! まあいいや。もらっとけ」
 父とのモーニングの儀式は、その後いつまで続いたのかまるで覚えていない。でも、どこかのタイミングで終わりを迎えたのだろう。
 わたしが大きくなって、もう行きたくないと言ったのかもしれないし、どちらかの都合で、日曜の朝に行けなくなってしまったのかもしれない。
 終わりの記憶は何故だか、わたしの脳裏からきれいに消えてしまっている。

    もう一度レストランで「百円玉」

      ◇

 父の貧乏ゆすりはどんどん激しくなり、テーブルの上のグラスを揺らした。
 テーブルには、だるま形のグラスでも小倉トーストでもなく、こじゃれた季節のオードブルが並んでいる。
 二人だけの食事はきっと、あの頃の日曜の朝以来なのだろう。
「お父さん、この人なんだけど」
 無関心を装った父が、宙に漂わせていた視線を写真に向けた。
「お、いい人そうだな。もらっとけ」
 わたしはなんとなく、テーブルの下を覗いた。
 父の貧乏ゆすりが激しいだけで、そこには何も落ちていなかった。





著者プロフィール
  • 中村航

  • 中村航
    小説家。2002年『リレキショ』にて第39回文藝賞を受賞しデビュー。ベストセラーとなった『100回泣くこと』、『デビクロくんの恋と魔法』、『トリガール!』など、映像化作品多数。ユーザー数全世界2000万人を突破した『BanG Dream!』のストーリー原案・作詞等幅広く手掛けており、若者への影響力も大きい。

中村さんオススメのお店
味はもちろんお皿から盛り付けまで美しいお店。お店の雰囲気も高級感がありながらも入りやすく落ち着ける空間。旬のものが定期的に入れ替わるアラカルトが毎回楽しみです。無限に食べられます!

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この記事を作った人

文/中村 航 イラスト/yasuna 構成/宿坊 アカリ(ヒトサラ編集部) 企画/郡司しう

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