唯一無二の熟成鮨を作り上げる学者肌の鮨職人 二子玉川【すし 㐂邑】木村康司さん/シェフのヨコガオ
唯一無二の「熟成鮨」を食べるために、9席のカウンターは今宵も争奪戦。予約がまったくとれない人気店となった【すし喜邑】だが、オープンしてから6年はお客さんが入らず、店をたたむ直前まで追い込まれたという。しかしこの逆境こそが「熟成鮨」という、どこにもない鮨を生み出すきっかけとなる。自分を信じ、オリジナリティにこだわり続け、花開いた生粋の職人のヨコガオとは?
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2005年、”自分の鮨”を目指して食べに来てほしい、と二子玉川に開店
「客が来ない」。逆境のなかで見つけた、自分だけの武器
ネタだけではない。シャリも、つまみも、「ここにしかないもの」を追いかけて
2005年、”自分の鮨”を目指して食べに来てほしい、と二子玉川に開店
「すし喜邑」の代名詞、マカジキの60日熟成鮨。「昔、カジキは江戸前鮨の華だったんです」と木村さん
私の家は、三代続く鮨屋でした。常に魚が傍にある環境にあり、小学生になるころには父親と一緒に店に行っては寿司を食べていました。常連さんから声をかけてもらえるのも嬉しかったですね。父が楽しそうに仕事をしているのを見ていましたし、鮨屋は幼心に好きな場所でした。ですから、鮨職人になるというのは当時からあたり前のように思っていました。祖父の一番弟子の方が出していた武蔵小山の鮨屋に手伝いに入ったのが21歳の頃。そこで27歳まで働き、その後叔父の店に移ってさらに6年修業しました。自分の店を開いたのは、その後の33歳の時です。
――なぜ二子玉川にお店を出そうと思われたのですか?自分の鮨は、生粋の“鮨喰い”の方にしっかりと食べてもらいたい。そう思っていましたから、接待や同伴が主のお客様となる銀座は考えませんでした。だから大企業がない場所、そして土日もお客さんが来るところ、さらに舌の肥えたお客様がいらっしゃるところ、と思って二子玉川を選びました。また、予約だけでやりたかったので、フリのお客さんが入りづらい駅から少し離れた場所を選び、物件を決めました。
――わざわざお客様に足を運んでもらう場所を、あえて選んだのですか?そうですね。自分なりに考えた鮨で人を呼べると思っていたんです。私が学んできた祖父の寿司は生粋の江戸前鮨。けれど、それだけでは時代に合っていないと感じていました。全国の鮨屋を食べ歩いたうえで、〆もの、煮炊きした江戸前鮨と、鮮度を楽しむ鮨を混ぜてやろうと考えた。けれど、開店してもぜんぜん人が来ない。今から思えば、自分がやっていたことは本当に普通のことで、わざわざ二子玉川まで来る動機にはならない鮨だったんですね。
「客が来ない」。逆境のなかで見つけた、自分だけの武器
オープンしてから12年。二子玉川の地で、一人で仕込み、握り、料理をする
お客様にいいもの食べていただきたい一心でいい魚を仕入れていましたが、本当に客が入らなかったんです。だから、仕入れたとびきりの魚が駄目になっていく。捨てるのが忍びなくて、まかないで食べられるかと思い腐ってしまったシマアジを切ってみたら、脊髄の周りが食べられそうな色をしていた。そこでその部分だけ食べてみたら匂いは強烈だけれど、食べたことがない旨みがあったんです。この匂いをなくし、旨みだけ残す、つまり“熟成”させたらどうなるのだろう? と思いついて。それからひたすら実験を繰り返しました。
ニシン、甘鯛、金目鯛ほか、熟成させた美しい白身のネタの数々。長年の研究のすべてがここに詰まっている
“熟成”と“腐敗”は同じラインなんです。ですからとにかく、いろんな魚を腐らせましたね。実際は店が暇だったから自然に腐っていったんですけど(笑)。加重で上身と下身に変化があるなら、立てて保存させたらどうか。内臓はどこから傷んでしまうのか、何が邪魔をするのか。ひたすら研究しました。この旨みのある魚が“自分の武器になるかもしれない”と可能性を感じたのです。実は33歳で自分の店をオープンする前に、縁があって天ぷら【みかさ】で修業をしたことがあるのですが、そのときの経験も試行錯誤するのに役立ちました。腐敗は魚の水分が原因のひとつなんです。鮨は「水仕事」ですけれど天ぷらは「水を使わない仕込み、水を抜いていく仕事」ですから。
――お客さんがいない状態でも、誰もやったことのない”熟成鮨“の可能性を信じられたのはなぜでしょうか。当初の常連さんは、100人いて5人くらいしか残りませんでしたから、そりゃ不安になりました。当時普通の鮨の合間に寝かしたネタを食べてもらったりしていたけれど、まあ、完成形とはいいがたいものでしたから当然です。でも【みかさ】のご主人は定期的に通ってくれて、「熟成に可能性を感じているなら、やりきって店を潰しなさい」と言ってくれました。それで迷いが吹っ切れましたね。とことんやろうと決めて。親戚中からお金借りて店をやりながら研究し続けました。“これ、うまくできたかな?” と思って母親に食べてもらって、次の日具合悪くなったら“これは駄目か”なんて思ったり(笑)。お客様に自信を持って出せるようになるまで6年かかりました。その頃、世の中はちょうど熟成肉ブームで、時代の風にも背中を押してもらいお客様が徐々に増えるようになりました。
ネタだけではない。シャリも、つまみも、「ここにしかないもの」を追いかけて
10日寝かせて、酢で〆たニシンの鮨。ねっとりととろけ、チーズのような余韻も
シャリは鮨の土台です。この土台がおいしくなければ鮨は飽きる。まずシャリありきです。ちょうど魚の熟成を研究しているときに京都の【飯尾醸造】のお酢に出会って、今のシャリが生まれました。ここのお酢は無農薬の米を純米酒にして、そこから3年かけて酢にする無添加のもの。裏のラベル見ると、原材料”米”だけなんですよ! これが本当においしいくて、旨みを凝縮させた熟成した魚に合う、と思いましたね。けれど、普通に炊いた米では酢がおいし過ぎてバランスが取れない。でも、この酢をどうしても使いたいと思ったので色々と試し、研究し、芯ができるギリギリに炊いた米に一気に酢を吸わせた硬めのシャリにたどりつきました。このシャリになるまで3年かかりましたね。今は熟成させたネタとのバランスはこれが一番いいと感じています。
ひと通りつまみが出たところで握りの前に海苔に巻いた酢飯を出す。「酢の雰囲気、硬さをまず知ってほしくて。ウチの鮨が始まる合図です」
とにかく二子玉川まで足を運んでいただくので、【すし 喜邑】にしかないものをつくろうと思っています。こんなことやっていますけれど、私なりに鮨は真面目につくっていて脳を使うんです。つまみは自分のなかでは“遊び”のフィールド。素材のおいしさを目いっぱい引き出して、世の中にないものをつくりたい。たとえば『蟹の塩辛』は、日本人はこんなに蟹が大好きなのに生で食べる料理がないことを不思議に思いました。韓国にも中国にもあるのに、日本に無いなら渡り蟹の生で塩辛を作って”アジアのスタンダード”にしてやろうと思ったんですね。季節になると出す『桜海老の海老味噌』は、刺身で食べる桜海老は香りが無くてもったいないと思ったのがきっかけ。焼いて香りを出して殻の香ばしさを生かそうと思ったけれど殻が邪魔。で、身の旨さだけを別にしようと考えた。殻ごと焼いて香りを出して殻ごと摺る。ひとまとめして裏ごしをして海老の旨みを凝縮したものに、酒としょうゆで味をつけて湯煎で水分を飛ばします。そうすると口にいれた途端、桜海老が大爆発します。
『蟹の塩辛』は最後の仕上げにブランデーを使う。「華やかな香りが出ます」と木村さん。独創的なつまみは、店に常時8~10種揃う日本酒を合わせて食べたくなるものばかり
「手間はタダ」と言われたことがあるんです。ああ、本当にそうだなあと思いました。原価かけずに好きなことできるなら、やりたいことやっちゃうんですね。やってるうちに考え方もやり方もいろいろと変わりますよ。少し前までは鮨も熟成の特徴がわかる長期熟成のものを中心に出していましたが、今は熟成していない鮨、熟成の浅いものから深いものまでメリハリつけて構成しています。たとえば鮑は江戸前ならではの仕事で切り方を工夫し、熟成せずに出します。鮑は”香り”を楽しんで欲しいですからね。私にできることは、素材を愛して、素材の魅力を目いっぱい追求する。自分の100%を出し切る。本当、それだけです。
(2017.5.17取材)
撮影/岡本裕介 取材・文/山路美佐(ヒトサラ副編集長)
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