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更新日:2017.04.12グルメラボ

知られざる「精進料理」の世界

健康食ブームによって世界的に注目されている精進料理。仏教の教えから、長い時を経て発展してきた精進料理は、現代の食を見つめ直すヒントが秘められています。

精進料理

托鉢で糧を得ていたインド、僧侶が調理するようになった中国

 精進とは「精魂込めて仏道に励むこと」。精進料理は、肉、鳥、魚を含まない野菜中心の料理です。和食の代表でもありますが、単なる野菜料理ではなく、仏教の歴史とともに発展してきました。

 仏教の開祖・ブッダは僧侶の肉食を禁じていませんでした。王子としてのぜいたくな生活と断食という両極を経験したブッダは悟りをひらいたのち、どちらにも偏らない中道を重んじます。

 食事も厳格な菜食主義を貫くことより、必要に応じて肉や魚をとることを認めていました。「不殺生」戒律により僧侶自らが漁や狩りを行うこともなく、物欲や所有欲につながる労働や生産行為は行いませんでした。僧侶の食事は托鉢でまかなわれていたのです。

 中国に渡った仏教には風土にあったさまざまな宗派が生まれました。そのなかのひとつ、インドの達磨が開いた禅宗は日常生活も修行の一貫ととらえ、僧侶たちも作務(労働)を行うようになります。食事も修行として僧侶たちが自ら調理することになりました。

精進料理を確立したのは修行の一貫として食事を重視した禅宗

 日本においても奈良時代から僧侶たちは菜食を行っていました。平安時代には寺の食事を「精進料理」と呼んでいたようですが、生やゆでた野菜に醤油、塩、酢などで味つけしただけのシンプルなもので、『枕草子』では「とてもまずい」と評されています。

 精進料理を確立したのは、鎌倉時代の禅宗です。中国で学んだ道元が開いた曹洞宗大本山永平寺はとくに修行として食を重んじ、調理にさまざまな工夫をこらし、和食や茶道にも多大な影響を与えました。千利休は精進料理に想を得て「中国僧が温めた石を懐に入れて空腹に耐えた」という故事にちなみ、懐石料理を考案しました。

 道元が著した『典座教訓(てんぞきょうくん)』には、五法(生、煮、焼、揚、蒸)、五色(青、黄、赤、白、黒)、五味(鹹、苦、酸、辛、甘)を組み合わせること、旬の食材を余すことなく使って調理することなどが、細かく定められています。調理場の責任者を典座は寺の重役であることからも、曹洞宗において料理が重要視されていることを示しています。

寺院での修行僧の食事から、日本を代表する料理へ

永平寺修行僧のふだんの平均的な食事の例です。

朝食(小食):お粥・ごま塩・漬物
昼飯(中食):麦飯・味噌汁・漬物・おかず1品
夕飯(薬石):麦飯・味噌汁・漬物・ おかず2品

 食事の中心的な食材は大根で、ほぼ毎日食べられているそうです。その他豆腐、湯葉、胡麻豆腐、生麩、こんにゃく、かぼちゃなどがよく使われます。もちろん出汁にも動物性は用いず、昆布やしいたけでとります。ていねいに下ごしらえし、食材をムダにすることなく皮や根まで使い、徹底的に手づくりにこだわった献立は、栄養バランスにすぐれ、低コレステロールの理想的な食事です。

 祭事などでは、品数も増え旬の食材を使ったハレの料理が並び、僧侶が意欲をもって修行に励めるように工夫されています。京都の寺院では、行事では料理屋の仕出しを頼むことが多く、周辺に精進料理店が隆盛します。江戸時代には仏教から離れて精進料理を提供する店も現れ、徐々に食の1ジャンルとしての精進料理も定着していきました。

 近年では海外でも健康食ブームや和食ブームが続いており、とくにベジタリアンやヴィーガン(絶対菜食主義者)からの注目を集めているようです。

 精進料理の精神は食材すべての命を大切にし、食べる相手を思って真心を尽くすこと。宿坊で精進料理を味わえる寺院もありますので、一度訪れて「食」を見つめ直してみてはいかがでしょうか?

この記事を作った人

取材・文/塩川千尋(フリーライター)

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