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更新日:2022.07.05食トレンド

日本の食文化を発信していく重要性とは? ソルトグループ代表 井上盛夫氏が描く外食業の可能性

Salt Groupの代表を務める井上盛夫氏は、食を通じて世の中を面白くしたいという想いのもと、数多くの店舗や商業ビルをプロデュースしています。井上氏は、この業界の門を潜って以来、経営の絶頂期に起こったトラブルやコロナ禍に見舞われるなど、さまざまな困難を経験し、それらを乗り越えてきました。そういった経験を経て、「日本の食文化を世界に認識してもらうことが外食業には必要なことだ」と提言しています。このように考える理由や、取り組み、外食業界に足を踏み入れたきっかけなどをヒトサラ編集長の小西克博がうかがいました。

SaltGroupCEO,井上盛夫

個性を失いつつある東京の街並みを変えたい

小西編集長

小西編集長

ここ広尾の「EAT PLAY WORKS(イート プレイ ワークス)」はSalt Groupさんが手がけられた新しい施設ですが、「食べて遊んで仕事する」というコンセプトのもとに、いい感じのエクスクルーシブなコミュニティができているみたいですね。

井上さん

井上さん

世の中を面白くしていくために、面白い人たちを集めたかったんですね。だからまず、そういう人たちが気持ちよく過ごせる空間を用意し、そして彼らのコミュニケーションが潤滑になるように胃袋おさえる、それが僕のここでの作戦だったんです。

結構エッジのたったレストランを集めました。広尾ですからね、中途半端なことはできません。コロナ禍でのオープンでしたが、少しずつ僕がやりたかったことに近づいている実感はあります。

僕はここで、ひとつのコンセプトに基づいた商業ビルのあり方を提案したかったんです。この数年、ロンドンで街づくりを見てきて、それがいろいろヒントになっています。

今までいろんな施設を作ってきましたが、ある時、東京の街並みがどこも同じように見えてきたんです。もっとエリアの個性を出さないと街が楽しくならないですよね。だからそれにトライした、ということです。

一度離れた飲食に再挑戦。数々の店舗をプロデュースしてきたからこそ分かる外食業の価値

小西編集長

小西編集長

そもそも飲食業に入ったのはどういうきっかけだったのですか。

井上さん

井上さん

僕は関西の大学に入ったのですが、ちょうど学生起業が流行っていたころで、そこで自分もなんかやろうと思ったんですね。それで海の家の運営やパーティーのサポートをしたりしているうちに面白くなってきた。当時は空気を売る企画屋みたいな感じでしたよ。やることがウケたので就職もしないで会社をつくり、けっこうイケイケだったんです。

ただそういうのは長続きしなくて、結局借金を作って大阪から東京に出てくることになった。パチンコ店をプロデュースする仕事などをしながらとにかく借金を返さなきゃと、一生懸命でした。でもそのうちまた飲食をちゃんとやりたくなってきて、当時、創作料理の走りだった岡田賢一郎をくどきに行ったんです。そして彼の会社「株式会社ちゃんと」の副社長になった。創作料理をお洒落なデザイン空間で食べるというコンセプトが受けて、デニーロ(ロバート・デ・ニーロ)とノブ(松久信幸シェフ)が経営していた【Nobu(ノブ)】に触発された【Ken's Dining(ケンズダイニング)】などを作ったりもしました。

森田恭通などの優れたデザイナーたちとしっかりタッグを組んで、とにかく新しい提案をしていました。

小西編集長

小西編集長

35歳で今の会社をつくられた。“Salt”っていいネーミングですね。

井上さん

井上さん

岡田がよく言ってたんですよ、最後は塩が決め手だって。だからそれを使ったんです。

ただし岡田とは袂を分かった。もともと我々は35歳定年制って言ってたんですよ。ちょうど僕も35歳になったから、じゃあお互い違うことしようと、まあ勢いとノリです(笑)で、最初はお好み焼きを開業した。「株式会社ちゃんと」ではいろいろ派手な店やってきて自分が最初に開業するのはお好み焼き店かと言われましたが、ここは堅実にと。カフェも業務委託で作ったりしていました。そして「道頓堀極楽商店街」をプロデュースすることになったのです。

小西編集長

小西編集長

あれは派手でしたね。道頓堀のど真ん中に観覧車ができ、レトロな横丁ができた。

井上さん

井上さん

最初に不動産会社から見せられたアイデアは東京のファッションビルみたいなデザインでした。そこで僕は「なんで道頓堀に東京のファッションビルをつくるの?大阪の象徴をつくりましょうよ」と提案した。“大大阪”といわれていたころの古き良き大阪をここで再現しましょうよと――。

おりしも吉本が東京へ進出し、松竹も元気がなかったから、ここでお涙頂戴の劇をやって、大阪のはずれにある知る人ぞ知るような名店を集めた横丁を作ってやろうと思った。東京の人を大阪に連れていくと、新世界の串カツ店やお好み焼き、スナックなどが喜ばれたんですよ。だからこれでやったれと運営していきました。

小西編集長

小西編集長

でもそういう隠れた名店の出店を口説くのって大変そうですね。

井上さん

井上さん

口説くのも大変でしたが、出店先から集まってきてからも大変です。もうめちゃくちゃですよ(笑)。結局5年ほどで終了してしまったのですが、ここから【串かつ だるま】や、【串カツ田中】が生まれてきたんです。それに、今の恵比寿横丁にも影響を与えてますね。この広尾の下も路地裏風にしてるのはこのときの名残みたいな感じがします。

小西編集長

小西編集長

それからロンドンに進出されたのですか。

井上さん

井上さん

それからもいろいろありました…。【マドラウンジ (MADO LOUNGE [旧店名]MUSEUM CAFE MADO LOUNGE)】とか、お洒落な空間を演出できていたのですが、絶頂期に業態変更を余儀なくされましたね(笑)。

そんなことやっているうちに、だんだん日本での事業展開に飽きてきましてね、それで縁のあったロンドンでお店を出展することになった。それがピカデリーサーカスそばの【engawa(エンガワ)】です。ブティックホテルが流行ると思っていたので、ハムヤードホテルという絶好の場所を見てこれはカッコいいなと思ったんです。

「ソーホーハウス」というクリエイティブな人の集まりがあって、この人たちとも一緒に仕事をしました。

小西編集長

小西編集長

「ジャパンハウス」というロンドン、ロサンゼルス、サンパウロで展開する多目的スペースのプロデュースにも関わっておられますね。

井上さん

井上さん

これは外務省のプロジェクトで、日本文化の発信拠点ということなんですが、僕はレストランと食文化発信を引き受けています。日本の外食産業と食文化を発展させるためのネットワークを構築させたいと思っていますが、一民間がやることには限界があるとも感じました。こういった背景から後の「日本ファインダイニング協会(JFDA)」の設立の動きに繋がっていくわけなんです。

小西編集長

小西編集長

“ウルトラアナログ集団「ソルト」”を標ぼうされていますが、DXとかは意識しないんですか。

井上さん

井上さん

設立当初はそう言ってましたね(笑)。DXが大事なのは知っていますよ。でも僕は好きじゃないんですよね。配膳ロボット導入の手伝いもしていますし、どんどん新しいサービスが出てきていることも知っています。

でも僕はやはり人間ファースト、AIはあくまでヘルプという考えなんです。面倒なことを手伝わせるとか、人がやらなくてもいいことやらせるとか、そういう使い方でいいのではと思っています。

無理ですよ、AIがメニューを考えたりすることは。そりゃやるかもしれないけど僕は興味がない。

小西編集長

小西編集長

「EAT PLAY WORKS」の前に、「青山一番街」を手がけられました。

井上さん

井上さん

これは外資不動産会社からいただいた話だったのですが、ミーティングを重ねるうちにデザイナーに僕が好きな「ローマン&ウィリアムス」を起用することになったので、俄然やる気になったんです。

でもプロデュースしてみて、不動産価値がデザインとコンテンツでこれだけ変わるのかと驚きました。多額で売却され、「なんじゃこりゃ、こっちは不動産の価値をあげる手伝いか」と…。分かっていたことですが、改めて考えさせられました。だからそれの逆をやりたいと思ったんです。食を軸にしたデザインとコンテンツ作りで空間に人を集めるという風にして不動産の価値を上げたいと。

やっぱり現場にいろんなオペレーターやクリエイターが集まって企画を立てて、そこから提案していかないと面白いものはできないんです。そんな流れを作りたいんですよ。

コロナ禍を経て見えてきた日本の“食”の可能性

小西編集長

小西編集長

コロナによって気づかされたことは何ですか。

井上さん

井上さん

飲食ってなんて脆い業界なんだ(笑)。日本の食って本当にレベルが高いのに、この業界はいまだに水商売とみられていることが改めて分かりました。ここを変えていかないとダメですね。

地方再生にも食コンテンツは使えます。日本は海岸線に取り囲まれていて、そこではおいしい魚が食べられます。食の豊かさ、おいしさをデザインすることで食を軸に地方創生できれば、“世界一のおいしい、美しい国”に繋がらないか。そう考えると、仕組みを変えればできることってたくさんあると思いませんか。

いま、千葉県の勝浦で行政とプロジェクトが始動しました。おいしさ、豊かさがある場所に多拠点生活環境をつくったりしたいと思ってるんですね。

ストーリーを考え、地方の在り方をオペレーション目線から開発していく。

そういったことに可能性を感じています。それもコロナで日本を見つめ直したからかもしれません。

小西編集長

小西編集長

外食業界はどう変わっていくべきでしょう。

井上さん

井上さん

とにかく儲かる業界にしていかないとダメです。「外食業界で働きたい」という業界にならないと。業界団体の食団連がようやくできて、ここにこれから期待です。みんなで知恵を出し合って、なんとか改善できるように提案していかないといけません。

日本の食って、文化じゃないですか。歌舞伎とかと一緒ですよ。文化はみんなで守らないといけない。そのためにはスタープレイヤーも必要だし、法律や税制を変えていかなければならないでしょう。色々な国の税制や仕組みを諸外国から参考にしていかないといけないでしょうね。そして働く人たちの給料も低すぎる。僕はやはり免許制にして参入障壁を高くすべきだと思っています。

小西編集長

小西編集長

今後開業したい人や飲食で活躍したいと思っている人にメッセージがあればお願いします。

井上さん

井上さん

世界中で日本食をやるのはまだブルーオーシャンだと思いますよ。寿司も発酵技術もトレンドだし、どんどんチャレンジしていってもらいたいです。文化なわけだから、パトロン、タニマチも必要です。彼らがちゃんとこの業界を育てていけばいいと思います。

もっと言えば、銀行の融資の基準なんか、試食で決定したらいいんじゃないですか。おいしいことが一番大切。

そんなファンドがあってもいいと思うけどなあ(笑)。

プロフィール

  • 井上盛夫

  • 井上 盛夫
    INOUE MORIO

    兵庫県出身。飲食店経営や総合プロデュース事業などを行うSalt Groupの創業者、CEO。JFDA(日本ファインダイニング協会)の副会長もつとめており、日本の食文化を国内外に再認識してもらうことを目的に、食を中心とした商業施設やプロジェクトをプランニングしている。

JFDA × canaeru

日本の食文化の魅力を発信するために設立されたJFDA(日本ファインダイニング協会)と、店舗開業、経営に関する知識を発信しているcanaeru(カナエル)がタッグを組んで、経営者の声をインタビューでお届けするスペシャルサイト【外食業界の未来を創る経営者たち】を開設しています。
JFDAメンバーである経営者が、開業してから現在の経営にいたるまでに経験してきた失敗や成功談などを、外食業界を志すみなさまへお届けしています。

JFDAとは

日本ファインダイニング協会。「日本を世界一の美食の国に」というスローガンのもとに、日本の食文化の魅力を世界へ発信するべく、レストラン経営者が集結した団体です。
商品・サービス・マネジメント・人材・海外進出などの互恵関係を築くことにより、日本の素晴らしいレストラン文化の発信と外食産業をけん引していける協会を目指しています。

canaeru-カナエル-とは

業務店(主に飲食店)の開業を志している店舗開業希望者を支援するためのWEBメディア。情報収集だけでなく、資金調達や物件探し、設備導入までUSENによる開業サポートを無料で受けることができます。

この記事を作った人

小西克博(ヒトサラ編集長)

グルメメディア「ヒトサラ」編集長。大学卒業後に渡欧し、パリとロンドンで編集と広告を学ぶ。帰国後、共同通信社を経て、中央公論社で「GQ」の日本版創刊に参画。2誌の創刊編集長。著書に北極から南極まで世界100カ国を旅した紀行作家として「遊覧の極致」等。

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